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News & Blog

  • 2022年12月16日

1989年11月11日、当時、人気があった深夜番組「イカ天」をながめていて驚いた。現れた4人組の外見がまず印象的。鈴木翁二さんが描く昭和の少年のようなギターの知久さん。「ガテン系」にしか見えない丸刈りの石川さんが風呂桶の底を叩く。ベレエをかぶった良家の坊ちゃん風の柳原さんがアコーディオンを奏で、すらりとしたベーシスト滝本さんが黙々と演奏する。知久さんの、どこか懐かしい夕暮れの印象がある「らんちう」という曲に惹きこまれた。そのバンド「たま」が「11月29日横浜のライブハウスで演奏」というテロップが見えたので、翌朝「ぴあステーション」に行ってチケットを確保しました。


翌週には一転、アコーディオンをキーボードに変えた柳原さんが歌う「さよなら人類」が披露された。小学生の頃、SFを読んで見上げた青い空を思い出した。心が軽くなった。このバンドは、なんとさまざまな曲を演奏できるのか、と感動しました。


平成元年、ぼくは悩んでいた。その3年前から勤務先で皮膚の研究を行なう部署に配属されていたのだが、指示される研究(のようなもの)は、どう考えてもモノにならない。役に立たない。残らない。このまま続けていては、自分の人生が無意味に終わってしまう。海外の最先端の研究を勉強して、自分自身が信じられる研究を始めるべきではないか、そんなことを考え始めていたときでした。


最初「不気味だ」「変だ」と揶揄されていた「たま」は毎週勝ち続け、人気が急上昇。横浜のライブハウスには身動きできないぐらいの人がいました。


その後の「たま」については言うまでもない。ぼくは「自分が好きなことを信じてやる」そういう思いの背中を押された気がしました。


余計なことですが、「たま」のメンバーの詞についてのぼくの印象。知久さんは萩原朔太郎でしょうか。ちょっと白秋を思い出すこともある。懐かしくも、ふと暗い深淵を感じる。柳原さんの「さよなら人類」を初めて聴いたときは、その宇宙的な印象から稲垣足穂を思い出した。石川さんは、ダダイストをきどっていたころの中原中也かなあ。中也の詩に石川さんが曲をつけた作品もあった。滝本さんの詞は独特で、似た詩は思いつかない。ただ「海にうつる月」には伊東静雄の「有明海の思い出」を連想する。「光」「海」「月」がモチーフになっているからかもしれませんが。


特に「さよなら人類」「海にうつる月」では、象徴詩的な詞が歌になると美しいイメージが立ち現れるのが魅力的です。


これだけ際立った個性のメンバーが8年ほどハーモニーを聴かせてくださったのは奇跡的でしょう。The Beatlesもそれぐらいの時期ではなかったか。わずかな機会でしたが、ライブを聴けて幸せでした。CDは全部、持ってます。今でもよく聴いています。

  • 2022年8月22日

創造性がろくにないぼくは「想像」するしかないのだけれども、優れた詩や小説、絵画などを創り出すことは、とても孤独な営みのようにも思える。合作というのもないわけではないが、歴史に残る作品は、秀でた才能に恵まれた個人によるものだと思う。


ちょっと事情が違いそうなのが音楽で、作曲は個人的な作業であるかもしれないが、演奏は複数の楽器奏者によるものが多い。特にロックなどのバンドでは、メンバーの共同作業である場合がほとんどだろう。


際だって優れた、存在感のあるリーダーに率いられているように見えるバンドもあるが、それぞれ異なる個性を持ったメンバーが集まったバンドがある。代表的なのはビートルズでしょうか。


15年前に、年少の「ビートルマニア」にひっぱられて、リバプールとロンドンでビートルズの「聖地巡礼」をしたことがある。特に印象深かったのはリバプールだ。さして広くもない領域にジョンやポールが少年時代過ごした家があり、ポール、ジョージが通っていたグラマースクールもある。ペニーレーンもあればストレベリーフィールドもある。すべて自転車があれば回れる範囲だった。


今にして思えば、それぞれ途方もない、そしてそれぞれ異なった強い個性と才能を持った人たちが、ごく近所に居た。その現場を見ると奇跡のように思える。そして創造的な人間は、エゴが強いことも事実で、それが長からぬ時間であったにせよ、こころを合わせて様々な音楽を創り出していたのも、滅多に起きないことであったろう。


日本では「たま」がそういうバンドだったと思う。ぼくは今でも聴いている。音楽のオリジナリティーはすばらしかった。しかし、たま(4人編成)もビートルズ同様、8年ぐらいしか続かなかった。


ありきたりの話で恐縮です。写真を眺めてください。





  • 2022年8月4日

無発屋とでもいうべきぼくから見ると、「一発屋」と蔑まれる方だって羨ましい。この世に生まれてきて、広く世間様にその活動を知らしめる何事かを一度でもいいから行えれば、十分、立派な人生ではないか。


クラッシック音楽にも「一発屋」的な現象があると思いませんか?音楽的教養があまりないぼくが、作曲家の名前も、曲のタイトルも知らないが、聴けば「ああ、この曲は知ってる」というもの。


ジャック・オッフェンバックの「地獄のオルフェ 序曲」と言われるととまどうが、この曲の最後の方は「最も有名なクラッシック音楽」ではないだろうか。「天国と地獄」と言われると、ああ、あれか、とわかる。


アラム・ハチャトゥリアンの「バレエ組曲ガイーヌ」と言われると、なんのことやらわからないが「剣の舞」という2分ほどの曲を聴いたことが無い人は珍しいのではないか。


お二人とも、それ以外にもどっさり作曲されているのだが、ダントツでそれぞれの短い曲が有名になっている。御本人たちは「もっと名曲があるぞ」と御不満であるかもしれないけど、ぼくから見れば、時代を超えて「誰もが知ってる」曲を遺せた人生はすばらしいじゃないかと思う。


一方で「多発屋」というべき天才もいらして、まあベートーベンだろうなあ。その次はレノン&マッカートニーではないか。バッハやモーツァルト、チャイコフスキー、ドボルザークも、聴けば大抵の人が知っている曲、メロディーをたくさん遺しているけど、ベートーベンがやはりすごい。じゃじゃじゃじゃーん(交響曲5番冒頭)があると思えば「エリーゼのために」なんていうリリカルな曲がある。それ以外では、ピアノソナタ「悲愴」の2楽章、交響曲6番の最終楽章、なんといっても「第9」の合唱。


ベートーベンの作品の中にどっさりある、むしろシンプルな、容易に口ずさめる曲、メロディーを思うと、人間には普遍的に覚えやすい親しみやすいメロディーのパターンがあるのではないか、と考えてしまう。ベートーベンは、それを、心の深い部分からそっと汲み上げる才能があった。いや、あの人のことだから一生懸命に掘り起こしたのかな。


無発屋は、それらを聴けるだけでも、生きる甲斐がありますね。

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