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たしか1973年の事です。ああ、もう半世紀前。NHKの教育テレビ、今ならEテレですか。「人間の時代」という番組があった。イギリスのBBCで作成された13回の科学の歴史の番組を日本語吹き替えで放映してました。当時、なんというか「知的環境として最悪、どん底」のろくでもない町立中学校に嫌々通っていたぼくは、とてもとても感動しながら見てました。


ジャイコブ・ブロノフスキーという科学史家のおじさんが、人類の誕生から農耕の出現、文明の勃興、ルネサンス期の天文学、ニュートン力学、産業革命から進化論、そして現代科学の基礎となった量子論、相対論などに至る歴史を、田舎の中学生でも理解できるように語ってくださった。人類誕生のアフリカ大地溝帯やイースター島、アインシュタインが相対性理論を思いついたケルンの街など、世界のあちこちにブロノフスキーさんは出向いて語る。


印象に残ったのが原子爆弾の開発の物語。ナチスに追われて亡命した物理学者レオ・シラードはナチスが原爆を開発する危険性を考え、アインシュタインを動かし、ルーズベルト大統領に原爆の開発を進言した。そうして実現したのがマンハッタン計画。ところが原爆の完成が見えてきたころ、ナチスは降伏した。シラードは一転、原爆開発中止、その日本での使用を止めるように進言するが、計画は進み、広島、長崎に原爆が投下された。この話を、シラードの友人であり、戦後、広島、長崎の調査も手掛けたブロノフスキーさんが語ると、田舎の中学2年生にもずっしり響きました。


この映像が今も見れます。BBCの放映がアマゾンで「The Ascent of Man」DVDセットで、たったの2625円。英語のサブタイトルがあるので、ぼくにもあらすじは何とかわかりました。今見ても、20世紀までの科学、技術の変遷をわかりやすく描いた傑作で、たとえば大学の教養課程のテキストにしても良いと思う。


久しぶりに映像を見て驚いたことが一つ。去年、出した本で、ぼくは「人類が世界に広がった。その最先端、フロンティアであった人たちの血液型はO型だった」と書いた。なんと、このネタ、「The Ascent of Man」でブロノフスキーさんが紹介しています。ぼくの頭は、中学生のころから、半世紀、ほとんど進歩していない・・・。

本棚にあった翻訳SFを読み返してみようと思いました。20冊を読み終えた時、だったら、とりあえず50人の作家の作品を読もうと考えました。その結果、新たに何冊か買うことになり部屋が狭くなってしまった。☆の数は、ぼくの好みを表示しただけです。ぼくの教養や想像力の乏しさで読みづらかった作品の☆の数は少なくなってます。


「闇の左手」アーシュラ・C・ル・グイン 小尾佐訳 ハヤカワ文庫 ☆☆☆

ジェンダー問題のさきがけ。性別が存在しない社会の丁寧な描写によって物語に現実感がある。氷原を行く二人の姿が感動的。「地球人は常に前進しなければならない」「人間の生活を存続させうるものは、永遠不変の不確実さ」「強と弱に二分さるべき人間的属性は存在しない」(過酷な環境では)「物事は偶然によって左右される」「無神論者であるということは神に固執している」「光は暗闇の左手」


「不安定な時間」ミシェル・ジュリ 鈴木晶訳 サンリオ文庫 ☆☆☆

「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を思い出した。脳の機能から時間軸を失くすとどうなるか、興味深い実験。少しずつ重なり合うズレた主観の緻密な描写が繰り返される。とほうもない状況設定を納得させてくれる仕掛けがすばらしい。


「氷」アンナ・カヴァン 山田和子訳 サンリオ文庫 ☆☆☆☆

氷河と戦乱が広がる世界で、白く輝く少女を追う私。争うように出没する私の分身のような長官。やがて全世界を氷が埋め尽くす中、疾走する車の中で少女と和解する。破滅のその向こうにある永遠。バラードとカフカと日野啓三「抱擁」。現実と空想が入り混じる物語だが、エピソードの細部が精緻なので、大きな流れを感じた。


「さなぎ」ジョン・ウィンダム 峰岸久訳 ハヤカワ文庫 ☆☆

少数者を排除しようという閉鎖的な社会で起きる心理は、50年台イギリスSFでも描かれていた。たぶん核戦争による文明の壊滅後の世界。「変異」を排除する優生学的思想は、さまざまな形で現代社会のあちこちに残っている。


「スローターハウス5」カート・ヴォネガット 伊藤典夫訳 ハヤカワ文庫 ☆☆☆

時間軸が空間3次元軸といっしょに認識できるトラルファマドール星人には七つの性がある。男女+男女それぞれ同性愛者+男女それぞれ高齢者+生後1時間位以内の新生児。主人公は誕生から死までの人生、トラルファマドール星での動物園生活、爆撃後のドレスデンを彷徨する。「もし、わたしに、この瞬間あの瞬間を訪れながら永遠を過ごすことが許されるとしたら、私はその多くが楽しい瞬間であることに感謝するだろう」。途方もない物語にうっすら感じる哀しみが印象的。


「夢の丘」アーサー・マッケン 平井呈一訳 創元推理文庫 ☆☆

文学が現実より人間の本質に結びついているという信念に生きた青年の幻想をつづった作品。プルーストにもつながる思想。「感覚は象徴であって実在ではない」「文学は思想から独立しているのだ」。赤い炎の光に照らし出された孤高の魂。悲惨な話なのに勇気づけられるのが不思議。


「マーシャン・インカ」イアン・ワトスン 寺地五一訳 サンリオ文庫 ☆☆

火星の「活性化物質」がアンデスのインディオ、火星探索者の意識を変化させる。その意識の全体像はよくわからないが、興味深いコメントがある。「人間はこの世界の事を考え始めた途端に世界とは切り離されたものになってしまう」「自己という感覚が生まれるのは、獲物を追うものが頭の中でスイッチを切り替えて獲物のイメージを突如頭の中から追い出し、その獲物を現実の世界でしっかりと捕獲し、食用とするとき」


「逆転世界」クリストファー・プリースト 安田均訳 サンリオ文庫 ☆☆☆

重力場に異常があるらしい大地を「地球市」という建造物が絶えず更新される線路に乗って、場の安定点に向かって移動を続ける。南に行くと景色が平たく時間の経緯が早くなり、北に行くと景色が長く伸びて時間が遅くなる(ように感じる)。「地球市」は単一の思想で隔絶された国家のメタファーにも思える。


「アルクトゥールスへの旅」デイヴィッド・リンゼイ 中村保男、中村正明訳 サンリオ文庫 ☆☆

ハガードの冒険小説を早送りしたように目くるめく場面が展開する。ときどき、印象的な箇所がある。「快楽は調和することができる。これに対し、苦痛はぶつかり合わねばならず、そのぶつかり合いの秩序の中に均整が存在するのだ」「法則や規則に従って生きている人は寄生虫のようなものだわ。それ以外の人たちは、そういう法則を無の中から生じさせ、日の目を見せてやろうと力をふりしぼっているのよ」


「幼年期の終わり」アーサー・クラーク 福島正美訳 ハヤカワ文庫 ☆☆

科学が良き方向に進歩することが、まだ信じられていた幸福な時代の作品。圧倒的な「力」の前で、技術や芸術がやる気をなくす、という指摘はおもしろいが反論したくもなる。カオスについての話題もある。意識の共有は現代科学で試みられつつある。それが実現した結果の未来像は、ひょっとしたら予言的なのかもしれない。


「流れよわが涙、と警官は言った」フィリップ・K・ディック 友枝康子訳 ハヤカワ文庫☆☆☆

パラレルワールドの話だが、その原因となる人間の脳のシステムの定義に説得力があり、意識についての概念を、読者も巻き込んでゆさぶる力がある。「空間の排他性は脳が知覚を司るときの脳の働きに過ぎません。脳は相互に排除しあう空間単位ごとにデータを規制します。無数の空間単位です。理論的には数兆ですが。しかし、本来、空間は排他的なものではないのです。事実、本来、空間はまったく存在しないのです」。レヴィナスを思い出す。


「黒い時計の旅」スティーブ・エリクソン 柴田元幸訳 福武文庫 ☆☆☆☆

二つの異なる歴史が相互に重なり合いながら渦になり溶けあい円環的な終局に向かっていく。視覚的、印象的なエピソードの細部が緻密で、途方もない物語、目くるめく展開が、読後、実感となって残る傑作。時空間を超える世界を感じさせる仕掛けも印象的。死を背負った誕生。死に向かう誕生。それゆえの誕生の尊厳。「夜の果てへの旅」「響きと怒り」「枯木灘」「百年の孤独」。


「レッド・プラネット」ロバート・ハインライン 山田順子訳 創元SF文庫 ☆☆☆

学校のシーンで「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(1951)を思い出した。本書は1949年刊行。「困難に対し、団結し、考え、敢然と立ち向かう」良い意味でのフロンティア・スピリットの物語は、今の世界に生きるものにとって救いになるのではないか。新たな問題提起を迎えながら終わるストーリーにも好感が持てる。小学校5年生の時図書館で借りて読んだ。


「スラン」ヴァン・ヴォクト 浅倉久志訳 ハヤカワ文庫 ☆☆☆

1940年に刊行された。核分裂、核融合は出てくるが相対性理論はまだ(ローレンツ収縮が出てくる)。途方もないどんでん返しが続く後半がすばらしい。SFは、人間の空想の枠を外して思考に自由を与えるものだと感心した。「大衆は組織の一員であり、ある思想や、少数個人や、地理的区域に忠誠をつくしているにすぎん」。


「何かが道をやってくる」レイ・ブラッドベリ 大久保康雄訳 創元推理文庫 ☆☆☆

巧みな比喩が幾重にも重なり、邪悪なカーニバル、回転木馬、鏡の迷路、刺青男、魔女などのイメージが月明りの中に浮かび上がる。善と悪が独立して存在、対峙するものではなく、人の心の中の隣り合った映像であることを物語として描いた傑作。「死は存在しない。いまだかつて存在しなかったし、これからも存在しないだろう。しかし我々はそれを把握し、理解するために大昔から、それについて非常に多くの絵を描き、奇妙な生命をもった、しかも貪欲な、ある実在としてそれをかんがえようと努力してきた」。


「砂漠の惑星」スタニスワフ・レム 飯田規和訳 ハヤカワ文庫 ☆☆☆

生存競争を繰り返し進化したらしい「無機機械」を、天文学、物理学、地質学などを動員してリアルに描き、人間中心の「知性」「生命」の思い込みをゆすぶる作品。ウイルスもこんなもんだよな。あるいは「他人」「異文化」に接する際も、これぐらいの覚悟でいたほうが良い。「これらの微小機械は、一定の方法で結合する必要が生じた場合には、それ自体がそのような中枢、あるいは一種の非生物的頭脳のようなものになるのでしょう」。粘菌みたい。


「不死販売株式会社(フリージャック)」ロバート・シェクリイ 福島正美訳 ハヤカワ文庫 ☆☆☆

意識(霊魂?)を肉体と分離できる、という古風な設定で、痛快な物語ができる。意志や意識のありようがあいまいになり、仮想空間が緻密になった現代、様々なエピソードに真実味を感じる。「科学的来世はその理想通りには人間を死の恐怖から解放してはいない。それどころか、ますます疑惑を深め、競争心をあおる結果になっている」「革新的なものはなんでも文化を破壊するものとみなされる」。


「人間以上」シオドア・スタージョン 矢野徹訳 ハヤカワ文庫 ☆☆

知的障害者とされる人には優れた潜在能力があるのではないか、と考え込んでしまう物語。障害があったり超能力があったりする登場人物の「意識の流れ」で描かれたストーリーは、話にのれるとがぜん、おもしろくなる。最後の「道徳」の議論は興味深い。ここでもSFの自由さを利用して、もっと途方もない記述を読みたかった気もする。


「竜の卵」ロバート・フォワード 山高昭訳 早川文庫 ☆

強重力、強磁場の中性子星に生息する細長いヒラムシのような生物チーラが、進化、数学、宗教を産み出し、高度な社会を形成する。その時間は地球の百万倍の速さ。人類との出会い、交流が描かれる。物理学的な設定はおもしろい。ただ、チーラの意識があまりにも人間そっくりで、不自然に感じた。そう設定しないと「交流」が描けないのはわかるけど。


「われら」エヴゲーニー・ザミャーチン 川端香男里訳 岩波文庫 ☆☆☆

ソビエト批判というより「合理主義」の本質に対する深い洞察と批判。「不自由の本能が古来本質的に人間に固有のものだ」「変わったことをするというのは、平等を破壊すること」「子供というのは、唯一の大胆な哲学者よ。そして大胆な哲学者というものは必ず子供よ」「自然の中には最後の数など存在しないのに、自分たちが最後の数だと信じてしまったのよ」「人類に対する真の代数的愛は、必然的に非人間的なものとなり、真実の絶対的な特徴はその残酷さである」。


「沈んだ世界」J.G.バラード 峰岸久訳 創元推理文庫 ☆☆☆☆

破滅に瀕した世界、そこに残った人間の物語になぜ魅かれるのか。多分、そこでは人間が、人間によって作られた枠組みから自由になり、世界とのつながりを取り戻すからではないか。主人公は、沈みゆく世界に抗する人々を拒み、自ら世界の破滅に向かってゆく。カミュの「異邦人」はこう解釈してもいいのかと納得。


「キリンヤガ」マイク・レズニック 内田昌之訳 ハヤカワ文庫 ☆

ヨーロッパ的な文明を拒み、天候までコントロールできる異星で、ケニアのキクユ族の伝統を守ろうとする社会が破綻する経緯を描いたオムニバス作品。民主主義を否定する社会、その為政者は、こういう心理状態にあるのだろうなあ。アフリカ文化が物語の「道具」としてしか扱われていないのは、ちょっと残念。「空にふれた少女」の「知ることへの希望」、これは人間の本能として興味深い。


「透明人間」H・G・ウエルズ 宇野利泰訳 ハヤカワ文庫 ☆☆☆

1897年刊。科学的に荒唐無稽な設定でも、人間の言動が巧く描かれていれば傑作になる好例。「他人に見えることがない人間」という設定は、「社会で認知されない者」とも考えられ、現代社会でも重いメタファーになるのではないか。透明人間は恐怖政治を志向するが、「落伍者」であったヒトラーや麻原彰晃もそうではなかったか。予言的でもある。


「地球の長い午後」ブライアン・オールディス 伊藤典夫訳 ハヤカワ文庫 ☆☆☆

自転が止まった地球の太陽側で植物が動物化し繁茂した世界で生き延びる人類の末裔の物語。脳に憑くキノコ、海の上を歩いて繁殖地を探す植物、月との間に網を張る巨大蜘蛛植物など溢れかえる鮮やかな想像と波乱万丈の展開に乗っているだけで気分爽快な傑作。


「アンドロメダ病原体」マイクル・クライトン 浅倉久志訳 ハヤカワ文庫 ☆☆

半世紀以上前の作品であるが、常在菌、ウイルスと人間との共存関係や、変異を繰り返し「無害化」する病原体のイメージなど、先見的なアイデアがあると思う。検疫体制や、未知の病原体の本質を見出す過程の描写もおもしろい。


「さあ、気ちがいになりなさい」フレドリック・ブラウン 星新一訳 ハヤカワ

文庫 ☆☆☆

星新一さんの前にもショートショートの傑作があったのだな。「電獣ヴァヴェリ」設定と文明批評がすばらしい。「不死鳥への手紙」“人間にとっては、ただ狂気だけが神なのだから”。「沈黙と叫び」シュレディンガーの猫。「さあ、気ちがいになりなさい」読者の意識の足元をゆさぶる傑作。


「星を継ぐもの」ジェイムズ・P・ホーガン 池央耿訳 創元SF文庫 ☆☆☆

1977年刊。「ハードSF」は経年劣化しやすいが、これは今読んでもおもしろい。著者の科学的知識量より科学的理解の深さが大事なのではないか。特に人類史について、今世紀になってからの発見で「それはないだろう」と思いつつ、妙に納得(5万年前の劇的変化)する部分もある。


「夢の蛇」ヴォンダ・マッキンタイア 友枝康子訳 サンリオ文庫 ☆

核戦争で荒れ果てた地球で、蛇を使って病や傷を治す治療師の女性の物語。さまざまな事件を読み進むおもしろさはあるが、そういう設定がなぜ必要だったのかわからない。


「鳥の歌いまは絶え」ケイト・ウィルヘルム 酒匂真理子訳 創元SF文庫 ☆☆☆☆

均等のみ指向する社会が創造性を失う経緯が見事に描かれている。また、その中で個の可能性に由来する芸術の力がいかに重要であるかも示されていてすばらしい。「あなたの中にあるもう一人の自分は、粘土の中にどんな形があるか知っているのよ」「時を超越した世界では、生活自体が目標となり、過去の再生や、未来の入念な組織化は目標ではなくなった」。


「フランケンシュタイン」メアリ・シェリー 森下弓子訳 創元推理文庫 ☆☆☆

1818年刊。疎外された者の心理、そして安易に創造したものに憑かれる人間像は、オッペンハイマーの原爆、アイヒマンのホロコーストを予見していたのではないか。フランケンシュタインと怪物の間に異常なかたちの「愛」が芽生えることも、人間のこころの深淵を示すようで興味深い。なんとドストエフスキーが生まれる前の作品!


「愛はさだめ、さだめは死」ジェイムズ・ティプトリー Jr 伊藤典夫浅倉久志訳 ハヤカワ文庫 ☆☆☆

自由自在な文体で語られた才気あふれる短編集。特に「接続された女」では文体の変化が物語の展開と同期していてすばらしい。哄笑しながら疾走する「すべての種類のイエス」。設定そのものについて考え込んでしまう「断層」。極限状態における個の意志、その矛盾を描き「神」のありようまで示唆した傑作「最後の午後に」。


「西瓜糖の日々」リチャード・ブローティガン 藤本和子訳 河出文庫 ☆☆☆☆☆

西瓜糖でできた街iDEATH(iMacやiPSのモト?)。人々は専ら手を使う作業に従事し静かな生活をおくる。冷たく澄んだ川に鱒が棲み、死者はガラスの棺に灯を添えて川底に葬られる。かつて存在した脅威「虎」は滅ぼされている。「忘れられた世界」に酔い狂った者どもが叛乱を試みるが自滅する。この物語を現実世界のメタファーだと考えるべきではない。著者個人の奥底にある物語が読者のこころの水面にさざなみをつくる。


「三体」劉慈欣 大森他訳 早川書房 ☆☆

(幼年期の終わり+コンタクト)×(-1)÷2。文革を経験したヒロインの重厚な物語と、VRによる文明の勃興と破滅のどたばた話、素粒子物理学とレトロな(pn接合とか)科学話、それらがごっちゃになっている。ちぐはぐな印象があるが、それが意図的な文明、科学批評なのかもしれない。豊富なアイデアには感心した。


「ニューロマンサー」ウィリアム・ギブソン 黒丸尚訳 ハヤカワ文庫 ☆☆

1984年刊。今読むと、刊行後、この作品の影響を受けた多くの小説、映画などが提供したイメージ、発展した現実の「電脳空間」などのイメージが、作品にあふれる膨大なイメージと干渉し、読みづらかった。細部まで理解した自信がない。ただならぬ作品だとは思う。「心は”読む“もんじゃない。いいか、あんたですら活字のパラダイムに毒されている」。名言。


「宇宙ヴァンパイアー」コリン・ウィルソン 中村保男訳 新潮文庫 ☆

人間にとってもっとも重要なのは意志である、という著者の思想、それを表現するための話で、ストーリーを追うのは容易だが、理屈が先走っておもしろくない。「賢者の石」は、思想は同じでもおもしろいのだが。意志と意識が分割できるという考えにも納得できない。


「1984年」ジョージ・オーウェル 新庄哲夫訳 ハヤカワ文庫 ☆☆☆☆

単なるスターリニズム批判の書ではなく、現代社会にはびこる権力の普遍的なありようを照らし出した傑作。「少数独裁制集産主義の理論と実際」の国内秩序のための継続的戦争はまさに予言的だし、主人公が拷問を受け洗脳される長い過程は20世紀以降の悪のありようを示している。最後に言語の統制を権力装置として示唆しているのもずっしり響く。


「コンタクト」カール・セーガン 池央耿、高見浩訳 新潮文庫 ☆☆☆☆

科学が好きで、科学の価値を信じている著者のSFは読んでいてホッとする。いや、科学ではなく、著者は、人間と、その営みを根っこの方で肯定している。そういう楽天的な思想は大切だと感じる。風刺も批評ももちろん価値があるが、人間を信じたいとする姿勢は貴重だと思う。


「虎よ、虎よ!」アルフレッド・ベスター 中田耕治訳 ハヤカワ文庫 ☆☆☆

暴力的でグロテスクで華麗なイメージが疾走する。共感覚の暴走。タイポグラフィーを駆使した表現もこの作品が元だったか。背徳の限りを重ねながらたどり着く果ても印象的。「人生は奇形です。だからこそ、それがその希望であり栄光なのです」。


「アルジャーノンに花束を」ダニエル・キイス 小尾佐訳 早川書房 ☆☆☆☆☆

「知性主義的」とでもいうべき近現代に生きる人間すべてにとって、その空虚さ、哀しみを思い起こさせる傑作。すみずみのエピソードまで良くできている。悲しく優しい結末はまた痛烈な批判を伴う。「・・・そんなとき一瞬だれかと肌が触れ合ったりすると、枝や幹と深い木の根の間のつながりを感じるのだ」「知識の探求は愛情の探求を排撃しているんです」。


「山椒魚戦争」カレル・チャペック 松谷健二訳 創元推理文庫 ☆☆☆

1936年刊。プラハでカフカとすれ違ったかもしれない著者の、生物学レポート、新聞記事、会議録などの体裁でつづられた奇妙な物語は、有史以来の人間の様々な愚行を照らし出す。ナチス批判はそのほんの一部。その風刺は現代と多分未来をも貫く。


「百年の孤独」ガルシア・マルケス 鼓直訳 新潮社  ☆☆☆☆

「もっとも悲しい思い出だけが純化され、拡大され、永遠の命をたもっていたのだ」「死の彼方で待ち受けているオレンジ色の笛の音と眼に見えぬ風船が、いったい何であるかを知りたいという、あらがいがたい渇望」。自死した息子の血は街をよぎって母の家を目指し、父の死と共に街に黄色い花が降り積もり、美しい娘はシーツを干しながら昇天し、青い服を着て長い髪の女が死神として現れる。小説を読む楽しみは途方もない時空に身を委ねることにある。「楡家の人びと」に似てるのは偶然だろうなあ。


「神々以上」アイザック・アシモフ 小尾佐訳 早川文庫 ☆

異なる宇宙を繋ぎ合わせて熱力学第二法則が成立するのか?どっちの宇宙も閉鎖系でないといかんではないか。そもそも核力が異なる宇宙をつなげられるのか。そのパラ宇宙に棲む生命体、相状態も途方もないのに、いやに人間臭いではないか、などと考えてしまい、楽しめなかった。


「クローン」リチャード・カウパー 鈴木晶訳 サンリオ文庫 ☆

類人猿が労働階級である社会で生まれた体外受精卵を分割して生まれたクローンの話。風刺や言葉遊びが溢れる。エピソードはおもしろいと思うのだが、それらにつながりがなく中途半端に終わっている。


「ストーカー」A&B・ストロガツキー 深見弾訳 ハヤカワ文庫 ☆☆☆☆

異星人?が「路傍のピクニック」で異常な物理現象を伴うものを投げ散らかしてできた「ゾーン」を前にする人々、とりわけ、そこで違法の「宝探し」するストーカーの物語。タルコフスキーの映画は第四部の枠を展開したもの。「人間に極端に単純化した世界のシステムを与えておいて、その単純化したモデルにもとづいて森羅万象を説明してやればいいんだからな」:「神」についての仮説。


「ブラッド・ミュージック」グレッグ・ベア 小川隆訳 ハヤカワ文庫 ☆☆☆☆

1985年刊。生命科学の仕掛けは風化しているが、興味深いエピソードや表現があって楽しかった。パンデミックの描写は予言的だし、廃墟と化したニューヨークを彷徨う少女が生命体に追われて登るのは世界貿易センタービルである。「皮膚に出てきたがる理由は、回路を表面にめぐらしたほうがかんたんだからろうだ」「精神はひとつの機能を演じる群体のあいだで分割される」「われわれは物理学の法則を発見したというより、むしろ共作したのです」・・・パウリはどう言うだろう?


「夜の翼」ロバート・シルヴァーバーグ 佐藤高子訳 ハヤカワ文庫 ☆☆

何度も破滅した後の地球で様々な階層、ギルドからなる中世的な社会に生きる人間の物語。かつての文明の痕跡が遺る。途方もないエピソードの数々に自然なつながりがあって不自然に感じない。多くの伏線が丁寧に拾われて楽しく読めた。


「光の王」ロジャー・ゼラズニイ 深町眞理子訳 ハヤカワ文庫 ☆

インドの神話、仏教の神々を名乗る者たちが殺しあう。やくざかギャングの抗争の話だと思って、なんとか読み終えた。刊行時(67年)は東洋哲学が流行っていたからだろうか。


「バベルー17」サミュエル・ディレーニィ 岡部宏之訳 ハヤカワ文庫 ☆☆

「わたし」が無い、超言語(?)バベルー17の設定がおもしろい。「事物は名付けられるまでは存在しないよの。そして、脳はそういうものが存在していなければ困るわけよ」「<わたし>を外しておけば自省作用は起こらないわ。事実、そうすることによって象徴化意識を完全の除去することができるのよ」


「歌う船」アン・マキャフリー 酒匂真理子訳 創元SF文庫 ☆☆☆

素敵なオムニバス小説。ボブ・ディランやシェークスピアが宇宙小説にうまくはまっているなあ。途方もない様々な設定もすいすい受け入れられるのは、やはり登場人物たちの心理描写が丁寧だからだろう。特にヒロインがかっこいい。話の背景にある「殻人」は、現代技術で可能になりつつあるし、その一方で身体と精神についてのメタファーとしても興味深い。


「スターメイカー」オラフ・スタージョン 浜口稔訳 ちくま文庫 ☆☆☆

1937年刊。さまざまな星の住民の栄枯盛衰の物語は予言的である。核融合まで出てくるぞ。五感につながるラジオシステムでは「だれもが自分のイメージを求めて隣人の目を探り」これは今のSNS社会ではないか。星たちの物語になると、想像力がついていかない。さらにスターメイカーが人格を持つような記述はいかがなものか、と思うが、そういう設定としてのフィクションでニュートンやアインシュタインが想定した神を描こうとしたのだろうか。

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