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たま

執筆者の写真: 傳田光洋傳田光洋

1989年11月11日、当時、人気があった深夜番組「イカ天」をながめていて驚いた。現れた4人組の外見がまず印象的。鈴木翁二さんが描く昭和の少年のようなギターの知久さん。「ガテン系」にしか見えない丸刈りの石川さんが風呂桶の底を叩く。ベレエをかぶった良家の坊ちゃん風の柳原さんがアコーディオンを奏で、すらりとしたベーシスト滝本さんが黙々と演奏する。知久さんの、どこか懐かしい夕暮れの印象がある「らんちう」という曲に惹きこまれた。そのバンド「たま」が「11月29日横浜のライブハウスで演奏」というテロップが見えたので、翌朝「ぴあステーション」に行ってチケットを確保しました。


翌週には一転、アコーディオンをキーボードに変えた柳原さんが歌う「さよなら人類」が披露された。小学生の頃、SFを読んで見上げた青い空を思い出した。心が軽くなった。このバンドは、なんとさまざまな曲を演奏できるのか、と感動しました。


平成元年、ぼくは悩んでいた。その3年前から勤務先で皮膚の研究を行なう部署に配属されていたのだが、指示される研究(のようなもの)は、どう考えてもモノにならない。役に立たない。残らない。このまま続けていては、自分の人生が無意味に終わってしまう。海外の最先端の研究を勉強して、自分自身が信じられる研究を始めるべきではないか、そんなことを考え始めていたときでした。


最初「不気味だ」「変だ」と揶揄されていた「たま」は毎週勝ち続け、人気が急上昇。横浜のライブハウスには身動きできないぐらいの人がいました。


その後の「たま」については言うまでもない。ぼくは「自分が好きなことを信じてやる」そういう思いの背中を押された気がしました。


余計なことですが、「たま」のメンバーの詞についてのぼくの印象。知久さんは萩原朔太郎でしょうか。ちょっと白秋を思い出すこともある。懐かしくも、ふと暗い深淵を感じる。柳原さんの「さよなら人類」を初めて聴いたときは、その宇宙的な印象から稲垣足穂を思い出した。石川さんは、ダダイストをきどっていたころの中原中也かなあ。中也の詩に石川さんが曲をつけた作品もあった。滝本さんの詞は独特で、似た詩は思いつかない。ただ「海にうつる月」には伊東静雄の「有明海の思い出」を連想する。「光」「海」「月」がモチーフになっているからかもしれませんが。


特に「さよなら人類」「海にうつる月」では、象徴詩的な詞が歌になると美しいイメージが立ち現れるのが魅力的です。


これだけ際立った個性のメンバーが8年ほどハーモニーを聴かせてくださったのは奇跡的でしょう。The Beatlesもそれぐらいの時期ではなかったか。わずかな機会でしたが、ライブを聴けて幸せでした。CDは全部、持ってます。今でもよく聴いています。

 
 
 

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