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News & Blog

  • 2024年5月13日

ときどき沼津に行く。有名な観光地ではないので静かだ。立派な漁港があるので、海の幸が美味しい。

 晴れた日は富士山が大きく見える。美しいが五分も見ると退屈する。すこし雲があるときは、ああ、しばらく待てば頂上が見えそうだ、などと考えて、もう少し長く眺めることができる。

 南の海岸に行くと流木が散らばり、カモメがいる。駿河湾の上に広がる雲を見ていると時が経つのを忘れてしまう。

 

 人間の命は現象だ。現象とは、例えばろうそくの炎だ。ろうそくの炎には明らかに形がある。しかしその形は、ろうそくの芯からもたらされた「ろう」が燃えて光を放ち、それが周囲の空気と作用しながらできるものだ。だから、空気がゆれると炎もゆれる。強い風が吹けば、その炎が消えてしまう。人間もそうだ。人間は、生きている限り、まわりの出来事と反応しながら、常に変わり続けている。圧倒的な力によって、その命が終わることもある。

 富士山も千年単位で眺めれば現象なのだが、人間の寿命の長さから思えば、変化がない「物」だ。現象である人間は、「物」にはすぐ飽きるが、現象はずっと眺めていることができる。そこに自分自身の命のありようを感じるからではないだろうか。

 

 人間が魅了されるさまざまな現象は、地球という特異な場所のおかげだ。太陽から近すぎず遠すぎず、おかげで厚い大気の層がある。風が吹く。雨が降る。衛星にしては大きい月のおかげで海も満ち引きを繰り返す。そんな動きの中で生命が誕生した。

 

 生命には、時間を超えて存在し続けようとする根源的な意志があるように思う。だから人間は「変わらない物」を求めて大きな建造物を造ったりする。しかしながら一方で、滅びる運命にありながら、そこに見える一瞬の輝きをいつくしむこころも人間は持っている。

 

 地球の誕生も、生命の誕生も、奇跡的な出来事だった、と考える科学者は多い。いわば奇跡の二乗として命があり風景がある。そのつかの間の輝きを大切にしたい。


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  • 2024年3月4日

東京大学出版会のPR誌「UP」(ユー・ピー)2024年3月号に表題の文章を寄稿しました。


ここんとこモノ書き仕事があって、ブログの文章が書けません。まあ、どっかで見かけたら眺めてください。

  • 2023年11月21日

頭の悪さには自信がある。特に記憶力。いわゆる「丸暗記」ができない。たとえば英単語のつづり。未だに中学生レベルの単語のつづりが怪しい。最近の”Word”は優れモノで、つづりを間違えると赤い下線が出る。右クリックすると「正しい候補」が出てくる。この機能のおかげで、英語の論文などを何とか書けている。


大学の工学部で化学を専攻したが、この化学も、実は高校の「化学I」でつまずいた。炭素(元素記号C)には「手」が4本。窒素Nには3本、酸素Oは2本、水素Hは1本。だからCH4 (メタン)、NH3 (アンモニア)、H2O(水)なんて分子ができるわけだが、なんと、この程度の事すら覚えられず途方に暮れた。


そんな時、たまたま湯川秀樹博士の弟子である片山泰久博士の「量子力学の世界」(講談社ブルーバックス)という、数式無しで量子論を説明してくれる本を読んだ。そこで原子の電子軌道の話があって、なぜ炭素4,窒素3,酸素2,水素1なのかがわかった。それ以降、それらを忘れたことはなく、ちゃんと大学を卒業できた。あつかましくも、その後、博士号までもらった。


まあ、大抵のことにおいて、そんな具合である。理由を説明してもらえないと記憶できない。たぶん、そのせいだろう。眼の前になにかの現象があらわれると「なぜ、そうなのだろう?」と考え込む習性がある。とりあえず理由がないと落ち着かない。


皮膚の研究を始めて、三十年以上、なんとか研究でメシが食えた。海外では、そこそこ評価されて招待講演の依頼もあった。そこで、なんども「君は、どうして、そう次々に当方もない仮説を思いつくんだ?」と聞かれた。「頭が悪かったからだよー」とまじめに答えています。


日本の組織、学校や学会、企業など、どこにでも規則がある。不文律なんてのもある。そういうのにも「なぜですか?」と訊いてしまう。「みんな、従ってるんだ」「ずっと、そうしてきたんだ」と怖い顔をされることが多い。当然、記憶できないまま、時が流れてゆく。

Copyright © 2021 Mitsuhiro Denda
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