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もう44年前の3月上旬である。大学受験、志望校に合格した。


高校生活は悲惨だった。入学して半年たたないうちに母が急逝した。家事ができない父と二人きりの生活。高校までは片道1時間半から2時間かかった。生きているだけで大変だった。入学したときは上位だった成績も下がってしまった。父は早々、ぼくが大学に入学したら再婚すると宣言した。そして現役で大学に入学しろ、という。


そんな事情で、高校時代は大学進学のための踏み石と決め、これ以上できない、というぐらい勉強した。その高校には、今、思い出しても、すばらしい先生方が何人かいらした。口をきいたこともなかったがチャーミングな女子もいた。しかし「青春を謳歌する」余裕はなかった。


英語が苦手だったので、英語の配点が多い私学は受験せず、志望校一本勝負。まよいもためらいもなく、必死だった。


合格発表のあと、ぽかん、と静かな春の日がおとずれた。重圧から解放された喜びというより、しばらく何もしなくていいのだ、という空っぽな感覚。


ぼんやり家で過ごしていた時、NHK「みんなのうた」で「道」という曲を聴いた。歌っていたのは広谷順子さんという方。空虚なこころに広がっていった。


インターネットで数年前、発見して何度か聞いている。広谷さんが3年前、亡くなられていたことを、最近知った。今でも、ぼーっとしているとき、ふと歌が聞こえる。

留学していた時、指導してくださったイライアス教授はユーモアのセンスをいっぱい持ってる人だったが、その教養も広く深く、無教養なぼくにはその冗談が理解できないことがあった。これは世界各国から来てる他の研究者にとっても同じだったらしい。「ピーター(教授のこと)はぼくたちをリラックスさせようとジョークを言ってるんだろうけど、難しくてわかんないよー」と、みんな口々にボヤいていた。


 一つ、憶えているジョーク。教授の部屋で電子顕微鏡写真を二人で検証していた。「ああ、これは拡大鏡がいるなあ」と引き出しから虫メガネを取り出した教授、いきなりそれでぼくの顔をみて「おお、大発見だ。モノが大きく見えるぞ。レーウェンフック以来の発見だあ」と叫んだ。

 これ、わかりますか?レーウェンフックというのは17世紀、顕微鏡を発明した学者であります。科学史によほど興味が無いと知りませんよ。ぼくはたまたま高校時代の授業で習ったのをかすかに憶えていましたが。


 ただ、そんなふうに文学的?だった教授のセリフで印象に残った表現がある。

 自分の研究の経緯を説明していた時だった。予想どおりの結果が得られず、どうしていいかぼくは悩んでいた。すると教授は言った。

「なに、ゆっくり考え直して、ゆっくり始めればいいのさ。Not the end of the world (世界が終わるわけじゃない)」


 こういう状況で使う英語には、たとえばIt could be worse (もっとひどかったかもしれない→まあ、いいんじゃない)があるけど、ぼくはNot the end of the worldのほうが好きだ。自分の悩みが、大きな世界の中では小さいもんだよ、と思い直すきっかけになるような気がする。


 帰国後、さまざまなトラブル、ひどい出来事があった。それぞれの時で、絶望的な気分になったけど、Not the end of the world と心の中でつぶやくと、すっと身体が軽くなった。


1989年11月11日、当時、人気があった深夜番組「イカ天」をながめていて驚いた。現れた4人組の外見がまず印象的。鈴木翁二さんが描く昭和の少年のようなギターの知久さん。「ガテン系」にしか見えない丸刈りの石川さんが風呂桶の底を叩く。ベレエをかぶった良家の坊ちゃん風の柳原さんがアコーディオンを奏で、すらりとしたベーシスト滝本さんが黙々と演奏する。知久さんの、どこか懐かしい夕暮れの印象がある「らんちう」という曲に惹きこまれた。そのバンド「たま」が「11月29日横浜のライブハウスで演奏」というテロップが見えたので、翌朝「ぴあステーション」に行ってチケットを確保しました。


翌週には一転、アコーディオンをキーボードに変えた柳原さんが歌う「さよなら人類」が披露された。小学生の頃、SFを読んで見上げた青い空を思い出した。心が軽くなった。このバンドは、なんとさまざまな曲を演奏できるのか、と感動しました。


平成元年、ぼくは悩んでいた。その3年前から勤務先で皮膚の研究を行なう部署に配属されていたのだが、指示される研究(のようなもの)は、どう考えてもモノにならない。役に立たない。残らない。このまま続けていては、自分の人生が無意味に終わってしまう。海外の最先端の研究を勉強して、自分自身が信じられる研究を始めるべきではないか、そんなことを考え始めていたときでした。


最初「不気味だ」「変だ」と揶揄されていた「たま」は毎週勝ち続け、人気が急上昇。横浜のライブハウスには身動きできないぐらいの人がいました。


その後の「たま」については言うまでもない。ぼくは「自分が好きなことを信じてやる」そういう思いの背中を押された気がしました。


余計なことですが、「たま」のメンバーの詞についてのぼくの印象。知久さんは萩原朔太郎でしょうか。ちょっと白秋を思い出すこともある。懐かしくも、ふと暗い深淵を感じる。柳原さんの「さよなら人類」を初めて聴いたときは、その宇宙的な印象から稲垣足穂を思い出した。石川さんは、ダダイストをきどっていたころの中原中也かなあ。中也の詩に石川さんが曲をつけた作品もあった。滝本さんの詞は独特で、似た詩は思いつかない。ただ「海にうつる月」には伊東静雄の「有明海の思い出」を連想する。「光」「海」「月」がモチーフになっているからかもしれませんが。


特に「さよなら人類」「海にうつる月」では、象徴詩的な詞が歌になると美しいイメージが立ち現れるのが魅力的です。


これだけ際立った個性のメンバーが8年ほどハーモニーを聴かせてくださったのは奇跡的でしょう。The Beatlesもそれぐらいの時期ではなかったか。わずかな機会でしたが、ライブを聴けて幸せでした。CDは全部、持ってます。今でもよく聴いています。

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