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生まれつき、音痴です。手先が不器用で楽器は一切ダメ。記号も苦手で楽譜は読めない。だけどクラッシック音楽のCDはそこそこ持っていて、たまにはコンサートにも出かける。そうなったのは中学生の頃、放映されていた「オーケストラがやってきた」という番組のおかげだ。

 日曜の午後、作曲家である山本直純さんが司会の30分番組。実はさっきネットで調べて30分の番組だったと知って驚いた。とてもたっぷりした内容だったという記憶があるのです。

 山本直純さんが教えてくださった様々な「雑学」は忘れられない。「交響曲第九の呪い」がそうだし、「三大協奏曲ベトコン、メンコン、ドボコン」なんてのもあった(野暮な解説、ベートーベン ピアノ協奏曲5番、メンデルスゾーン バイオリン協奏曲ホ単調、ドボルザーク チェロ協奏曲)。

ベートーベンの「合唱」のメロディはブラームス交響曲1番4楽章の主題になり、さらにマーラー1番1楽章の主題になった、なんて話も覚えている。その後「愛は勝つ」になったんじゃないか、というのはぼくの個人的見解です。

 ゲストもすごかった。よく出演された小澤征爾さんはカッコよかったなあ。白のタートルネックかなにかに首飾り?で表情豊かに指揮をなさる。アイザック・スターン、イツァーク・パールマンというような名演奏家がニコニコしながら冗談交じりに演奏をされていたのも記憶している。

 「一分間指揮者コーナー」といって素人が指揮をする。遠藤周作さんが「田園」を指揮されたのだが、テンポがよれよれになって終わったのには笑った。

 音楽でも美術でも文学でも、そもそもオモシロいから長い年月を超えて愛されている。とことが、一部の専門家、評論家がコメントすると、とても難しい、とっつきにくいモノに思えてしまう。山本直純さんのように、その入り口の敷居を低くして「さあ、どうぞ、一緒に楽しもうよ」と言ってくださる方は貴重だったと思う。

ぼくが2年ちょっと留学していたサンフランシスコには、御存知のように名所がいっぱいある。さらに足を延ばせば雄大なヨセミテ国立公園や水族館で有名なモントレーにも行ける。都市生活の便利さと自然の美しさを気軽に楽しめる街だった。


あまり知られていないが、何度も訪ねた場所が、市内から車で北に向かって2時間ほどのポイント・レイズ(Point Reyes)だ。太平洋に突き出した「レイ岬」。


Google Earthで見ていただければわかるように、海に突き出た砂洲などからなる複雑な地形の場所だ。岬の先端からは太平洋が広がり、運がいいと沖にクジラが見えます。季節によっては海岸にゾウアザラシが寝そべっている。散策路でエルクに出会ったこともあります。もしサンフランシスコに滞在する機会があって、レンタカーを借りてどこかで半日過ごそうとお考えなら、お勧めします。

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もう44年前の3月上旬である。大学受験、志望校に合格した。


高校生活は悲惨だった。入学して半年たたないうちに母が急逝した。家事ができない父と二人きりの生活。高校までは片道1時間半から2時間かかった。生きているだけで大変だった。入学したときは上位だった成績も下がってしまった。父は早々、ぼくが大学に入学したら再婚すると宣言した。そして現役で大学に入学しろ、という。


そんな事情で、高校時代は大学進学のための踏み石と決め、これ以上できない、というぐらい勉強した。その高校には、今、思い出しても、すばらしい先生方が何人かいらした。口をきいたこともなかったがチャーミングな女子もいた。しかし「青春を謳歌する」余裕はなかった。


英語が苦手だったので、英語の配点が多い私学は受験せず、志望校一本勝負。まよいもためらいもなく、必死だった。


合格発表のあと、ぽかん、と静かな春の日がおとずれた。重圧から解放された喜びというより、しばらく何もしなくていいのだ、という空っぽな感覚。


ぼんやり家で過ごしていた時、NHK「みんなのうた」で「道」という曲を聴いた。歌っていたのは広谷順子さんという方。空虚なこころに広がっていった。


インターネットで数年前、発見して何度か聞いている。広谷さんが3年前、亡くなられていたことを、最近知った。今でも、ぼーっとしているとき、ふと歌が聞こえる。

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