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ぼくは、これまでいくつかの研究機関で仕事をしてきたが、サンフランシスコの研究室ほど、リベラルというのか民主的というべきか、個人が尊重されていた場所はなかった。


例えば、ある研究成果が出て、それを学会で発表する、論文にする。その際、その研究に主として携わった人が筆頭で発表した。あたりまえじゃないかと思われるかもしれないけど日本の大学や企業では組織の中の順位が優先されることがよくある。


しかしぼくが居たサンフランシスコの研究室では、たとえば、若いテクニシャンの女性、博士号を持っていない彼女が筆頭研究者になって、国際会議の特別講演に採択され、大きな会議場で数百人の前で堂々と発表した。


あるいはぼくの研究を論文にするとき、指導してくださったファインゴールド教授はあらたまってこう言われた。「この研究は君が主として行ったものだ。筆頭著者はもちろん君だ。だが、論文の原稿はまず私が書いていいだろうか?私の方が英語に慣れているし、専門用語や研究の背景についても詳しいから、その方が良いように思うが、どうだろう?」と、丁重に提案された。もちろん「よろしくお願いします」と答えた。


だが、日本の組織では、主たる研究者が筆頭になれば、まだいい方で、有無を言わせず「偉い人」が筆頭になったり、なにもしていない「偉い人」がぞろぞろ著者になったりする。それどころか、共同研究をしていた医学系教授にぼくの発見を奪われ、ぼくの名前が入っていない論文として勝手に刊行されたこともある。「偉い人」は「偉くない人」に何をしても構わない、という意識が日本の医学系の組織にはあるように思う。そう考えざるを得ない経験が何度もあった。


その後は、日本の学会と距離を置くようになった。サンフランシスコで「良き指導者」に恵まれていたぼくは、研究を実施した人が尊重されること、それが世界共通だと誤解していたのだ。


アメリカの科学が元気な理由の一つは、個々の研究者の尊厳に配慮する、そういう風土があるからだと思う。


留学から戻って数年たって、久しぶりにアメリカで開催された国際会議に参加した。入り口近くにきちっとしたスーツを着たハーバード大学の研究者たちが数人、立って難しそうな話をしていた。それをそーっとよけてサンフランシスコの仲間たちを探した。会場の奥で教授以下、メンバーが輪になってあぐらをかいて座り込んでいるのを見つけて駆け寄った。

「好きな映画は何ですか?」と問われたら、ベスト3は30年間、変わっていない。2位が二つ。タルコフスキーの「ストーカー」、ゴダールの「気違いピエロ」。そして最も好きなのは、厳密には映画ではない。NHKのドラマ「四季・ユートピアノ」です。おそらく、もう生涯変わらないだろうな。


1980年、京都のおんぼろ学生アパートの共同スペースで、定期購読されていた新聞を見て、その日、そのドラマがあることを知った。2万円のテレビを大学生協で買ったばかりだった。


雪景色にまず魅かれた。ぼくが少年時代を過ごした滋賀県彦根市にもけっこう雪が降った。長靴でぼこぼこ雪道を歩く時の音を思い出した。ヒロインのA子は次々に肉親を喪うが、その行きどころのない空虚な感覚が、高校入学して間もなく、母を亡くしたぼくに伝わってきた。本当に近しい死は悲しみではなく、世界の構造が変わってしまったような印象を残す。いや、多分、世界と自分との間に、元には戻らない空隙をもたらすのだ。


A子はピアノ調律師を目指し東京に出てくる。ピアノ工房の仲間たち、穏やかな師匠の「みやさん」。外国客船、オペラ歌手夫婦やサーカス団のピアノを調律する。そこにも出会いがあり別れがある。家族や師、友人の死をしっかり見つめながら生きるA子は、死があるからこそ輝く生を讃えているように思えた。


当時はビデオなんてないから、それっきりだった。それだけに印象が心の中で反響し続けていた。5年後、京都を追われることになった年の冬、自主制作映画のサークルが「四季・ユートピアノ」の上映会を行なうというチラシを見つけて会場に駆け付けた。入口で監督の佐々木昭一郎さんとすれ違った。


その後、東京に本社がある会社に就職した。ふと思い立って渋谷のNHKに行ってみたら、なんと「四季・ユートピアノ」のVHSビデオが売られていた。初任給から考えると結構な値段だったが、迷わず購入した。ボーナスを待ってビデオデッキも買った。

それから何回見たことだろう。その都度、自分のこころの最も深い部分が静かな涙を流す。


一昨年「竜とそばかすの姫」というアニメーション映画が公開されたが、A子を演じた中尾幸世さんが声優として「出演」されるというので、近所の映画館に行った。中尾さんの声はすぐにわかった。


事情があって、DVDが販売されることは難しいそうだ。しかし、多くの映画監督など映像関係の方々が「四季・ユートピアノ」を「影響を受けた感動した映画」として挙げていられる。日本の風土の中でしか生まれない、しかし世界で感動を呼ぶであろう傑作が、永く多くの人に見られるようになることを祈っています。

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