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このところ御無沙汰しているが、かつて都内で開催されるミネラルフェア、鉱物や化石の販売会によく出かけた。安価にじっくり楽しめるのが、小さな石など一つ500円均一ぐらいでどっさり入っている箱。その中から、一つ一つを眺めて気に入ったのを二つか三つ買う。

 

ラピスラズリという石がある。鮮やかな濃い青色で、ところどころに金色の結晶が入っている。ツタンカーメンのマスクにも使われているが、その他にもエジプトやシュメールの遺跡から出土した装飾品にもみかける。さらには後年、顔料、絵具に使われた。ウルトラマリンブルーというものがそれで、フェルメールの作品によく使われているという。「青いターバンの少女(真珠の耳飾りの少女)」「牛乳を注ぐ女」がそうだ。あの青は確かに印象的深い。アムステルダムの美術館で途方もない手間をかけてあの美しい青色の顔料を作る工程が展示されていた。

 

アフガニスタンが大きな産地だそうで、眺めていると、シルクロードの世界を思い出してしまう。小さな石ころを眺めていると、遠くに行けそうな気がして気持ちよい。



ときどき沼津に行く。有名な観光地ではないので静かだ。立派な漁港があるので、海の幸が美味しい。

 晴れた日は富士山が大きく見える。美しいが五分も見ると退屈する。すこし雲があるときは、ああ、しばらく待てば頂上が見えそうだ、などと考えて、もう少し長く眺めることができる。

 南の海岸に行くと流木が散らばり、カモメがいる。駿河湾の上に広がる雲を見ていると時が経つのを忘れてしまう。

 

 人間の命は現象だ。現象とは、例えばろうそくの炎だ。ろうそくの炎には明らかに形がある。しかしその形は、ろうそくの芯からもたらされた「ろう」が燃えて光を放ち、それが周囲の空気と作用しながらできるものだ。だから、空気がゆれると炎もゆれる。強い風が吹けば、その炎が消えてしまう。人間もそうだ。人間は、生きている限り、まわりの出来事と反応しながら、常に変わり続けている。圧倒的な力によって、その命が終わることもある。

 富士山も千年単位で眺めれば現象なのだが、人間の寿命の長さから思えば、変化がない「物」だ。現象である人間は、「物」にはすぐ飽きるが、現象はずっと眺めていることができる。そこに自分自身の命のありようを感じるからではないだろうか。

 

 人間が魅了されるさまざまな現象は、地球という特異な場所のおかげだ。太陽から近すぎず遠すぎず、おかげで厚い大気の層がある。風が吹く。雨が降る。衛星にしては大きい月のおかげで海も満ち引きを繰り返す。そんな動きの中で生命が誕生した。

 

 生命には、時間を超えて存在し続けようとする根源的な意志があるように思う。だから人間は「変わらない物」を求めて大きな建造物を造ったりする。しかしながら一方で、滅びる運命にありながら、そこに見える一瞬の輝きをいつくしむこころも人間は持っている。

 

 地球の誕生も、生命の誕生も、奇跡的な出来事だった、と考える科学者は多い。いわば奇跡の二乗として命があり風景がある。そのつかの間の輝きを大切にしたい。



東京大学出版会のPR誌「UP」(ユー・ピー)2024年3月号に表題の文章を寄稿しました。


ここんとこモノ書き仕事があって、ブログの文章が書けません。まあ、どっかで見かけたら眺めてください。

Copyright © 2021 Mitsuhiro Denda
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