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News & Blog

  • 2024年11月24日

サンフランシスコで独り留学生活を始めて間もないころ、韓国出身の留学生と知り合いになった。仕事場の太平洋を臨む病院の中をうつむいて歩いていると、いきなり「センセイ、日本人ですか?」と日本語で聞かれて「はあ、そうですけど」と、びっくりして答えると、白衣を着た若い男性が「Mセンセイ、知ってますか?Mセンセイはすばらしい人でした。私は韓国の大学を出て日本に留学して、Mセンセイの指導を受けました。とても優しくしていただきました!」とニコニコして言う。


その後も、出会うたびに「あ、センセイ、元気ですか?」と手をふって声をかけてくれた。留学生活を始めて、まだ知り合いもできていない頃だったので、彼の笑顔には癒された。


留学から戻ってからさらに韓国とは縁が深くなった。2002年から2022年までの間、実に7回もソウルで開催された学会に招待された。4回目あたりから講演の冒頭でネタにした。「私は今回で韓国に招待されることX回目であります。一方で日本の皮膚、医学系学会から招待されたことは一度もありません。この点から私は韓国の医学、皮膚科学の研究者をより尊敬しております」。


映画「ドライブ・マイ・カー」に韓国人の舞台演出家が登場される。この人と、映画で奥さんを演じられる女優さん。この二人の礼儀正しく優しいたたずまい、ぼくの韓国の友人たちによく似ている。思い出すごとにこころが温かくなる。

  • 2024年11月24日

高校1年の秋分の日の夜、母が喘息の発作で急逝した。家族は両親と自分だけだった。


通っていた高校は、山間部の家から電車を2回乗り継いで片道1時間半から2時間かかった。


突然の出来事で、なにがなんだかわからず、親族が集まり葬儀が終わった。たしか1週間ほど学校を休んだだろうか。通学が始まった。弁当などどうしていたのか、記憶にない。とにかく遠い高校には通い続ければならず、何もかも無我夢中で、その時期のことはよく覚えていない。


秋が深まり、日暮れが早くなり、帰宅するころには、あたりは暗くなっていた。誰もいない家に鍵を開けて入ると、やっと何が起きたのか、静かにわかり始めた。


それから数十年、ありがたいことに今ではちいさな家庭がある。


このところ、夕方自宅にいるのは自分だけのことが多い。毎晩、玄関の明かりをつけるようにしている。家族はあまり気にしていない様子だが、こまめに明かりをつけている。

ずっと環境と人間、特にその意識に対する影響が気になっていました。一昨年、「(情報)エントロピーが高い街、たとえばプラハに住んでいると情報エントロピーが高い課題をこなす能力が高まる」という論文を見つけました。「(情報)エントロピーが高い街って、どんなとこかな?」と実際に行ってみました。

素敵な街です。治安は良いし、会った人たちはみなさん親切。その一方で「プラハの、チェコの良さを知ってくださいね!」という良い意味での熱意も感じました。そして他のヨーロッパの有名な都市とは違う、雰囲気、それも「また体験したい」ものでしたが、それも感じました。


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