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  • 執筆者の写真傳田光洋

どくとるマンボウ

今、還暦あたりの世代で、少年時代、読書好きだった人は、大抵、どくとるマンボウ、北杜夫さんの作品に親しんでいたのではないか。しばらく前、同じ歳の友人の写真家に「『さびしい王様』の本名知ってる?」と問うと、彼はニタリと笑い(ここ北杜夫調)「シャハジポンポンババサヒブアリストクラシーアルアシッドジョージストンコロリーン28世」と諳んじてみせた。


1960年春「どくとるマンボウ航海記」がベストセラーになり、同年「夜と霧の隅で」で芥川賞受賞。80年代で言えば椎名誠さんと村上春樹さんを足して2で割らないような存在。そればかりか東北大学医学部出身。慶応大学病院勤務の医学博士。さらに斎藤茂吉の次男であります。これが見るからに高慢そうな人だったら、さぞ嫌われただろうと思うのですが、マンガやナマケモノを心から愛する人で、「船乗りクプクプの冒険」という童話ではあるが今思えば、著者が物語に登場するメタ文学まで発表され、大変な人気があった。


半世紀経って今、あらためて「どくとるマンボウ」を読み返すと、そのユーモアあふれるお人柄の奥に、非常に豊かな教養と深い思想を持った方だったと感じる。たとえば「どくとるマンボウ昆虫記」の一節、「われわれは地球という遊星に生じた生物の一つである以上、人間のみにかかずらった思想を私は偏ったもの考える」は、その後のエコロジーやら生物多様性やらを予見させる、いや、そういう流行りを超えた文章だと思う。


北さんはトーマス・マンの影響を受けたと言われているが、どうかなあ。初期の傑作「幽霊」は、敢えて言えばリルケだと思う。「楡家の人びと」は「ブッデンブローク家の人々」というよりガルシア・マルケスの「百年の孤独」を思わせる。これは67年刊行というから64年刊行された「楡家」に似ているのは偶然だろう。


「百年の孤独」がそうであるように、「楡家」では楡家の家族だけじゃなく、門番や飯炊きの爺さん、女中さん、患者さん、居候など、さまざまな人たちが生き生きとしたエピソードで描かれる。みなさん、普通の人。思弁的、観念的でないところから言えば「俗物」であるが、それぞれが懸命に愚かに生きていて、それぞれに共感し同情する。


北さんが晩年、テレビ番組で「ぼくは昆虫を眺めていたので、人間が描けました」という意の事をおっしゃっていて、ああ、そうか、と納得した。空を飛んだり地にもぐったり、さまざまな昆虫はさまざまな生き方をしている。どれが尊くてどれが卑しいというものではない。それぞれが、それぞれの生まれと環境の中で懸命に生きている。それぞれが生きているということに輝きがあり愛おしさがある。


マンボウ先生の作品は、相変わらず異なる価値観がぶつかり合っている世界で、今なお、読み継がれるべきだと思う。


追記

「さびしい王様」を読み返していたら、ストン王国で革命を起こした青年将校がこう言っていた;

「おれが見た目に野蛮な方法で死ぬのは。精密に計算された理性からだ。それによって君らの純な、しかし愚鈍な感情はやっと方向指示器をもつことになる」

「さびしい王様」初版は1969年9月に刊行されている。ぼくの手元にあるのは平成14年改版の新潮文庫だが、もし上記が原文のままだったなら、北さんは三島事件を予見されていたのではないか。

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