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高校1年の秋分の日の夜、母が喘息の発作で急逝した。家族は両親と自分だけだった。


通っていた高校は、山間部の家から電車を2回乗り継いで片道1時間半から2時間かかった。


突然の出来事で、なにがなんだかわからず、親族が集まり葬儀が終わった。たしか1週間ほど学校を休んだだろうか。通学が始まった。弁当などどうしていたのか、記憶にない。とにかく遠い高校には通い続ければならず、何もかも無我夢中で、その時期のことはよく覚えていない。


秋が深まり、日暮れが早くなり、帰宅するころには、あたりは暗くなっていた。誰もいない家に鍵を開けて入ると、やっと何が起きたのか、静かにわかり始めた。


それから数十年、ありがたいことに今ではちいさな家庭がある。


このところ、夕方自宅にいるのは自分だけのことが多い。毎晩、玄関の明かりをつけるようにしている。家族はあまり気にしていない様子だが、こまめに明かりをつけている。

ずっと環境と人間、特にその意識に対する影響が気になっていました。一昨年、「(情報)エントロピーが高い街、たとえばプラハに住んでいると情報エントロピーが高い課題をこなす能力が高まる」という論文を見つけました。「(情報)エントロピーが高い街って、どんなとこかな?」と実際に行ってみました。

素敵な街です。治安は良いし、会った人たちはみなさん親切。その一方で「プラハの、チェコの良さを知ってくださいね!」という良い意味での熱意も感じました。そして他のヨーロッパの有名な都市とは違う、雰囲気、それも「また体験したい」ものでしたが、それも感じました。



7月、プラハからウィーンまで旅をしました。陸路移動したいなあ、と地図を眺めていると、途中にチェスキー・クルムロフという街がある。ユネスコ世界遺産に登録された美しい街らしい、ここで一泊しようと決めました。

 南ボヘミア、今のチェコ南部、ヴォルタバ(モルダウ)川が曲がりくねった地形の上にあります。14世紀からボヘミア王国の貴族ローゼンベルク家の城が建設され、修道院や市街が作られました。その後、支配者はボヘミア王家、貴族のエッゲンベルク、シュバルツェンベルク家に変わり20世紀に到る。その都度、特に城の内装や設備が重ねられ、ルネサンス、バロック、ロココ風の装飾や絵画が楽しめます。

 市街地も14世以降の建築が今でも残ってます。色鮮やかなパステルカラーの家々が並んでいるのですが、その色合いが穏やかで、プラハで見たアルフォンス・ミュシャ(ムハ)の作品の色を思い出しました。

 街はずれに1560年、というから永禄三年織田信長が今川義元を討った桶狭間の合戦の年ですが、その時、創業されたビール醸造所がありレストランがあった。そこで頼んだビール、ビフテキも良かったが川マスのソテーが美味しかった。ウェイターさんに「どこで獲れたんですか?」と訪ねたら「ほい、そこの河(ヴォルタバ)だよ、ぼくは漁師なんだ」と得意げに教えてくれました。

 チェスキー・クルムロフにはウィーンからも日帰りツアーがありますが、1泊して良かった。機会があればまた2,3泊したい、そう思います。



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