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News & Blog

ずいぶん前のことだから、もう書いてもいいだろう。


40年近く前、友人の結婚式に招待された。新婦は名門私大の出身で、パーティーでは同窓の女性の隣に座った。その彼女は、当時ぼくが勤務していた企業の名前を知ると、その会社の商業的な施策について、すごい勢いで非難、罵倒を始めた。入社して数年もたたないぼくは呆然として聴いていた。ぼくは入社以来、研究部門配属だったから本社の営業部門の施策については何も知らない。なぜ自分がここで説教されるのか、理解できず、ただ場所柄、議論を始めるのも躊躇され、また反論するに足る知識もないのでそのままおとなしく拝聴した。


去年の夏、知床を旅した。急に天気が悪くなり、ホテルを出る前、ロビーでその日行く予定のツアーについてつれあいと話していたら、ヨーロッパ系と見えるロビー係の若い男性が「なにかお困りですか?」と長身をかがめて声をかけてくれた。相談すると「そのツアーは、今日は中止になってますね。別の良い場所もありますよ」と丁寧に教えてくれた。すばらしい日本語だった。去り際に、つい「日本語、お上手ですね。どこの国の方ですか?」と聞いてしまった。彼は一瞬、逡巡の後「ロシア」と答えた。どう応答していいかわからず「御親切な案内、ありがとう!感謝してます」と答えた。


今の世の中、誰もがなにかの組織、企業や国家、あるいは人種や宗教に属している。個人としてその組織からは離れた場所にいると思っていても、別の立場の人からは、その組織の背景を担わされる。


ただ、ぼく個人は、誰かに接する場合、その人が属する「組織」のことはなるべく気にせず、その人個人に対峙しようと思っている。実際には、なかなかむずかしいのだけど。

  • 2024年11月24日

毎朝、近所の土手を自転車で走っていると、ステキな雲に出会います。ちょっと「熱力学的考察」もしてみました。



  • 2024年11月24日

小学校、中学校の時、「おちこぼれ」の気分をどっさり味わった。


入学試験なんかない田舎の町立小中学校だったから、机にむかう勉強は、まあできたのだが、運動神経が全くなかった。運動会の駆けっこなどでビリなのは構わないのだが、苦痛だったのがクラス対抗のサッカーだった。クラスでチームが複数組まれる場合、ぼくがメンバーだと決まると、同じチームのみなさんがため息をついた。申し訳ないけど仕方がない。


試合の時にはオノレの立場を十分わきまえ、なるべくボールが来ない場所に身を置くようにしていたのだが、えてして、そういう場所にボールは転がってくる。「こっちに蹴れえ!」と言われてあたふたボールを蹴ると、必ず味方から罵声をあびる方向にボールは転がってゆく。試合後、負けるとメンバーの中には泣いてる連中もいた。「たかがクラス対抗のサッカーやんけ」と涼しい顔をしていると、ものすごくトゲのある非難の視線をいくつも感じた。


ぼくが高校受験をひかえていた1970年代半ば。「文化大革命」がまだ正義だった時代である。その影響を受けて教師たちが「高校受験に向けて勉強ができる子、まあまあの子、できない子、3人組になって助け合う」という命令を下した。3人の選別は教師。ぼくは「まあまあできる子」だったが、そのチームで「できない子」だったK君の表情が忘れられない。中学校の同級生の名前はほとんど覚えていないが、K君のフルネーム、最初の「助け合い」の時の彼の視線、今でもありありと覚えている。彼の気持ちは、クラス対抗サッカーで邪魔者あつかいされたぼくにはよく想像できた。


数年後、ぼくは大学に進学していたが、地元に帰るバスの中でK君に出会った。「おお、元気そうやんけ。おれも今、がんばってるで」と笑顔で話しかけてくれて、ちょっと楽になった。

Copyright © 2021 Mitsuhiro Denda
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