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高校時代、ニーチェの「ツァラトゥストラ」を読んで、よくわからなかったのが「超人」だった。サルから人間に進化し、人間が進化して超人になる、といった安易な解釈はナチスの思想や悪しき優生学につながりそうだ。そもそも「最も進化した生物は人間だ」という考え方がおかしい。「地球上で最も危険な生物は人間」なら理解できますけどね。


 大学時代、ガストン・バシュラールの「空と夢」(宇佐見英治訳 法政大学出版局)の第5章「ニーチェと昇行の心象」を読んで、あ、そうか、と納得した。人間は、弱者が強者にたいして抱く嫉妬や怨恨の重力「ルサンチマン」から解放され、自由に高みをめざすべきだ。この高みはもちろん世俗的な地位やら名誉であるわけがなく、そもそも「より優れたもの」というような静的なイメージではない。上昇してゆくダイナミックなイメージとして解釈しなければならない、という。バシュラールは「力学的想像力」という言葉を使っている。この人は最初、理科の先生だったのだが、40歳を過ぎてから哲学者になった。だから自然科学に関する考察もある。ぼくは、この人の本を眺めていると、なぜ自分が自然科学の道に入ったのか、納得できる気がする。自然科学に大切なのは、世界のさまざまな不思議にたいする素朴なイメージの力ではないか。


 日常生活で、人間関係のごたごたや、他人や自分自身の恨みや嫉妬に疲れ果てた時、ふと、そのしがらみから自由になり、空へ、宇宙へ独りで昇っていきたい。ぼくのレベルでの「昇行の心象」はそんなもんで、「超人」もその心象、詩的なイメージで解釈すべきなんだろうな、と納得した。


 当時、高橋留美子さんの「うる星やつら」も愛読していた。未だにコミック全34巻を秘蔵していることは人には言えない秘密です。まずヒロイン?のラムの無重力感が良い。学校の教室の中で浮いていたりする。飛ぶんじゃなくて浮くのです。コミックや映画で空を飛ぶヒーロー、ヒロインは数多いる。でも鉄腕アトムはジェット噴射で飛ぶ。オバQやスーパーマンは、飛ぶことはできるが、ラムのように日常生活の中で、ふわっと浮いている記憶はない。さらに宇宙人、妖怪、亡霊、幽霊、奇人、変人、なんだかわけのわからない登場人物(動物?)が跋扈する。その「枠のなさ」が気に入っていた。

ふわっと自由に何となく上の方、広い世界にあこがれを持って生きていたい。

十代から、大体十年に一度、魅力的なマンガ家に出会っている。


1970年代諸星大二郎さん。中学生の時、ネンザの治療のため通っていた接骨院で、少年ジャンプに連載を開始された「黒い探究者(妖怪ハンター第一話)」を見て茫然とした。その後、大学に入って単行本を集め始めた。「生命の木」「暗黒神話」には圧倒された。そういう人、多いですよね。


1980年代坂口尚さん。学生時代、洛北の、マンガが充実していた本屋で「3月の風は3ノット」をいわゆる「表紙買い」して魅了され、単行本を集め始めた。坂口さんは日本のマンガ家で最も絵が巧い天才だ。勢いのある線でデフォルメされた人物が美しい。そして光や風、気配まで「描いて」しまう。早世されたのが残念です。最後の作品「あっかんべエー一休」は絵も思想も日本のマンガの中の最高峰だと思う。


1990年代津野裕子さん。サンフランシスコで研究をしていた。ジャパンセンターの紀伊國屋書店で「ガロ」を買ったら「A Taste of Honey」が掲載されていた。帰国して「デリシャス」「雨宮雪氷」「鱗粉薬」「一角散」と本が出るたびに購入した。「美しい絵で描かれたシュルレアリスム」という作品がありうることを知った。まだまだ描いてください。


2000年代島田虎之介さん。当時、池袋ジュンク堂のコミックフロア(B1F)に「サブカルチャー系」コーナーがあって、「ラスト・ワルツ」「トロイメライ」を購入し、その、奔放で虚実定かならざる物語に圧倒されました。一昨年刊行された「ロボ・サピエンス前史」には改めてとてもとても感動した。SFってこれだよなあ。アーサー・クラークやアシモフ、ハインラインをワクワクしながら読んでいた少年時代を思い出した。


2010年代町田洋さん。これまたジュンク堂「サブカルチャーコーナー」で「惑星9の休日」「夜とコンクリート」を購入。そのころ、ぼくは人間関係のごたごたで疲れ果てていた。酷い人間不信に陥っていた。そんな時、町田さんの作品は、干からびた心に静かな雨が降るようにしみこんでいった。半年ぐらい、枕元に置いて、毎晩、寝る前に何度も読み返していました。新作を待ってます。


2020年代、まだ、これと言った作家さんには出会っていません。

サンフランシスコで研究生活を送っていたころ、よくオーケストラのコンサートに行った。夫婦そろって週末祝日返上で実験をしていた。そのため貴重な息抜きだった。


インターネットが無い時代だったが、つれあいと「明日は聴きにいこうか」と決めると、電話一本で座席が取れた。値段も安かった。ホールの傍らに駐車場もあって便利だった。ブロムシュテット指揮のサンフランシスコ交響楽団の演奏も楽しんだが、有名な楽団が客演することもあった。忘れられないのが、ゲオルグ・ショルティ指揮シカゴ交響楽団の演奏だ。


当時、80歳を超えていらしたショルティさん、さすがに目がお悪いのか、楽譜が大きかった。しかし姿勢はピシッと美しかった。


「共感覚」という現象があって、例えば匂いや音や文字に色を感じる。ぼくにはそんな才能が無いと思っていた。


まず、ストラビンスキーの「ペトルーシュカ」。演奏が盛り上がってくると、目の前に極彩色を感じた。絵画ならカンディンスキーの作品が光りながら踊りだしたような感覚。生まれて初めての経験だった。


次はメンデルスゾーンの交響曲第四番「イタリア」。冒頭で、目の前が光り輝く黄緑色になった。早春の草原の輝き。わくわくする解放感。すばらしかった。


楽器にも触れず、楽譜も読めない、音痴のぼくだが、すばらしい音楽と演奏には、音痴の脳も踊りだす。貴重な体験だった。

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