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  • 2021年3月26日

生まれつき手先が不器用で、楽器には縁がない。でも、声変わりする前は、ボーイソプラノで、中学生の時、独唱させられたこともあり、徹底的な音痴というわけでもない。だから「なにかのはずみで20分間だけ楽器が弾けたら」と、無意味な、しかし切実な想像をしてみる。


ピアノだったらベートーヴェンのソナタ「悲愴」の第二楽章。だれでも聴けばご存知です。映画などのBGMにもよく使われている。すばらしいなあ、と思うのは辻井伸行さんの演奏。ピアノという楽器は鍵盤楽器でありながら、音の強弱を表現できるように開発された。辻井さんの演奏は、それが美しく、優しくすべき音は優しく、静かに抑える音は静かに、聴いている方が「こうなってほしい」と思うように流れる。


ヴァイオリンだったらシベリウスのヴァイオリン協奏曲の第一楽章。シュロモ・ミンツさんの演奏を聴いています。ベルリンフィル。Wikipediaによれば「極寒の澄み切った北の空を、悠然と滑空する鷲のように」と楽譜に指示があるらしい。確かに冒頭のソロは孤独な厳しさをたたえた哀しいまでに美しいメロディーです。


チェロなら、当たり前すぎますか、ドボルザークのチェロ協奏曲1楽章。ロストロポーヴィチさんの演奏を半世紀近く聴き続けています。小澤征爾さんのボストンフィル。堂々としていて凛々しい印象。聴くと元気になる。


フルートならドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。アラン・マリオンさんの演奏、ジャン・マルティノンさん、フランス国立放送局管弦楽団。中学生の頃、北杜夫さんの小説「幽霊」に魅せられていて、そのBGMとでもいうべきこの曲も半世紀近く聴いてるなあ。


オーボエはボロディンの「イーゴリ公・ダッタン人の踊り」の一節。作曲家の名前も曲名も御存知なくともメロディーは誰でも知ってます。カラヤンさん、ベルリンフィル。ソリストのお名前がわかりません。ごめん。でも、疲れた時、イヤなことがあった時、何度も繰り返し聴く曲です。


まあでも、今、並べてみたら世界的なソリストさんばっかりで、ちょっと楽器がいじれるレベルでは、むしろ聴いているだけでいいのでしょうね。

  • 2021年3月24日

ネットやミネラルショー、土産物屋では「めのう」は、ごくあたりまえに、いろいろ見かけられます。この「めのう」はネットで送料より安く出品されていたのですが、どこかで見たように感じて購入しました。届いて眺めてみると葛飾北斎の絵に似ていることに気がつきました。

1993年8月、サンフランシスコで独りぼっちの留学生活を始めた。インターネットもない時代。今、思えば貴重な経験だった。


やっと見つけた職場近くの古いアパートでの生活。最初は自動車免許もないから調理器具などは、手に持ってバスに乗れる程度しか買えない。皿と鍋とフライパン、スプーン、フォーク、包丁兼用のナイフをダウンタウンの高級デパートで買った。後になって、近所に安い雑貨屋、スーパーマーケットがあることに気が付いたが、最初は土地勘が無いからわからない。幸い、アパートの隣に、今なら「コンビニ」程度の規模の食料品屋があったので、そこで買った牛肉を焼く。あるいはトマト缶と一緒に煮込む。オレンジかブドウを買って、ぱさぱさのパンと安ワインで飲み下してお終い。


国際電話は高いので必要最小限。ツレや友人から届く葉書は何度も何度も読み返した。


アパートの屋上からは太平洋が見えた。果てしなく広がる青い海。白い波。ああ、あの果てに日本があるのだ。


日本にいた時、自分がどれほど多くの人たちに支えられていたのかを痛感した。サンフランシスコの研究室の人々、教授も他のメンバーも実は親切な人ばかりだったが、つきあいは、最初は研究所内だけ。なによりぼくの英会話能力が低かったから仕方がない。仕事を終えて職場を離れると、広さだけは十分なアパートの部屋で、経験したことが無い孤独を感じた。


今は、たとえばロンドンにいる友人と相手の顔を見ながら会話ができる。便利になった。


しかし、ぼくは、今思えば、自分が、そんなふうに心底、孤独になる期間を持てたことは、価値あることだったと思う。サンフランシスコ留学は2年ちょっとだったが、海辺の景色や街並みの記憶は、その時期のものが最も鮮やかに残っている。


そんな孤独は、今の日本では経験する機会があまりないのではないか。孤独が続くのは良くないが、ひととき、孤独を感じることは、人のありがたさを再認識するために必要だと思う。

Copyright © 2021 Mitsuhiro Denda
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