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小説や詩を濫読したのは、やはり大学時代から結婚するまでで、特に、貧乏で、つきあってくれる女性もいない、という学生時代は、興味のあるなしには関わらず、世間で名作と言われている文学書はかたっぱしから文庫本か古本で読み漁った。


若いころは、なんというか激しい強烈な思想に惹かれるもので、日本だと安部公房、三島由紀夫、海外ではドストエフスキー、カフカ、カミュ、など「小説好きなら一度はハマる」作家の作品を熱心に読んだ。詩はランボー、中原中也、立原道造、宮沢賢治、谷川俊太郎、とか。


一方で「名作」と言われているのに、感動を覚えなかった作品もあり、例えば谷崎潤一郎の作品では、初期の「刺青」、晩年の「鍵」「瘋癲老人日記」などは、すさまじいなあ、と思ったが「細雪」は若いころは退屈だった。


リルケの「マルテの手記」は何度も読み返していたけど、「ドゥイノの悲歌」は何のことやらわからず、中原中也や立原道造と交流があった伊東静雄の詩にも興味がわかなかった。


しかしですね、長生きはするもので、50歳を過ぎるころ、ふと「細雪」を手に取ったら、一気に引きずり込まれた。関西の裕福な四姉妹の物語だ。波乱万丈のエピソードがあるわけではない。平和な時代なら珍しくもない時間の流れがある。でも、それがとても愛おしく貴重なものに見えてくるのだ。


「ドゥイノの悲歌」は、いわゆる遠距離介護で、月に一回、介護施設にいる父の定期診断につきそうため、滋賀に行っていた。その往復の新幹線の中で頁を開いて釘付けになった。この作品は、一字一句に自分の考え方を寄り添わせながら丁寧に読んで、初めて何かを感じる。その読み方を覚えてからは、しばらく手放せない詩集になった(手塚富雄訳 岩波文庫)。


同じころ、伊東静雄の詩集にも惹きこまれた。「わがひとに与ふる哀歌」「有明海の思ひ出」「八月の石にすがりて」などは、わざわざコピーして持ち歩いた。吐き気を催すほど退屈な会議に出なければならないとき、その紙片を隠し持って、ときおりメモを取るフリをして読んで屈辱の精神をいたわった。


「名作」は読みたくなった時、それが近しく思えた時、読めば良いと思う。

中学生ぐらいの頃から、レコードで聴くのはクラッシックだった。それ以来40年ぐらいは、メロディが美しいなじみやすい曲、チャイコフスキーの4,5,6番「悲愴」交響曲、ドボルザークの8番、9番「新世界」交響曲、チェロ協奏曲、リムスキー・コルサコフのシェヘラザードなどを聴いていた。今思えば、それらをゆったりした時間の中で聴いていたのかどうか疑問だ。落ち着きがない性格で1時間ずっとステレオの前に座っていたかどうか。


そんな奴だから長いマーラーの交響曲には縁遠かった。CDの時代になっても交響曲の1番と4番を持っていただけ。ところが2012年の秋から年明けまで、毎週日曜日、渋谷で半日すごす事情があった。映画を観て、あるときはスターバックスで本のゲラを見て、それでも時間があったのでiPodに、持っているCDを移して散歩しながら聴いていた。その時、初めてマーラーに感動した。


チャイコフスキーやドボルザークの交響曲の一節は鼻歌で歌える。しかしマーラーの交響曲では不可能だなあ。よく、コマギレにした「名曲全集」があって、「悲愴」の第一楽章、「新世界」の第二楽章などが入っている。マーラーの場合、5番の第四楽章、ヴィスコンティの「ヴェニスに死す」のBGMだった部分が入っているだけだ。マーラーの交響曲の特徴は、ずううぅっと長い複雑なメロディ・・・と言っていいのか、とにかくコマギレにできない、しかも複雑な音の流れなのだ。そして、それは一つの交響曲なら最初から最後まで聴いて初めて感動できる。たとえば有名な交響曲第1番「巨人」は第一楽章のテーマが最終楽章のなかでくりかえされ、おおきな一つの輪になっている。


あっという間にマーラーにハマり、交響曲全10曲のCDを購入(一部は複数)し、ずーっと聴いている。待ち時間や電車や飛行機の移動時間が楽しくなった。ぼく個人の嗜好だが、ヒマが1時間弱だと1番、1時間半あれば9番、2時間以上あれば2番を聴くことが多い。


さらにライブでも1,4,5,6,8,9番は聴いた。渋谷オーチャードホールで聴いた山田和樹さん指揮日本フィルハーモニーの8番はこの世のものとも思えない壮大な曲だった。いつか全曲、ライブで聴きたい。

ふとした風景や、ごく日常的な経験の中で、「永遠」や「宇宙」を感じる瞬間がある。ぼくにとってはアメリカの画家、アンドリュー・ワイエスの作品がそれだ。アンドリュー・ワイエスというと、特に芸術系の知人からは「写実的なテクニックはすごいけど、結局、イラストレーションじゃないの」などと言われる。


違う。ぼくは、ワイエスはシュルレアリスムの系譜に置かれるべき画家だと思っている。ワイエスは、ペンシルバニア州のチャッズフォードという小さな街にあった自宅兼アトリエと、メイン州クッシングという、もっと小さな海辺の集落にあった別荘の近所の風景、そこに暮らす平凡な、どちらかといえば貧しい知人を主として描いた。しかし、自宅に「仕事ありませんか?」と尋ねてきた浮浪者、別荘の隣人で生まれつき歩行に障害がある老嬢、切り株、井戸水の洗い場などを描いた作品を見ると、なぜだかわからないのだけれども、永遠とか宇宙、という事を考えてしまうのだ。


ワイエス自身、自分が絵を描いた場所に行っても、そこで絵に描かれた光景を見ることはない。自分は、ふとした瞬間、ある光景に接して心がさざめいた時のイメージ、それを絵にしているのだ、と語っている。それはシュルレアリスムの思想ではなかったか。


ぼくなりに勝手な解釈をすれば、ぼくたちは日常的な景色の中に、個人が認識しうる限られた時空間を超えた、世界、それをふと感じることがある。ワイエスは、何度もデッサンを重ね、水彩で試作を試み、最後にそれらから、自身が宇宙や永遠に触れた時のこころのゆらめきを構築するのだ。


代表作である「クリスティーナの世界」はクッシングに弟と住む、脚が不自由なため両手で這いながら家事をこなすクリスティーナ・オルソンの姿に感動し、頭部や手足は当時55歳だったクリスティーナ・オルソンのデッサンを基にし、胴体は新婚だった若い奥さんのデッサンから描いた。あの作品を遠くから見ると、あるいは小さな複製で見ると、若い女性が草原でくつろいでいると勘違いする人がいる。それはやむなき事で、あの印象的な後ろ姿は、ワイエスのこころ、脳の中で再構築された、実在しない人物の姿だからだ。


ぼくはワイエスが多くの作品を描いたクッシングのオルソン姉弟が住んでいた家、今は国家財産として保全されているのだが、そこを訪ね、家の中まで見せてもらえる機会を得た。さらに自宅近くで、これも数多くの作品の原点になったカーナー牧場も訪ねた。そして、ああ、あの作品をここで描いたのか、という景色をいくつも見つけたけれども、ワイエスが主張するように、その場で彼の作品に接した際の感動は得られなかった。


ワイエスの肖像画で若い少女の印象的な絵「Siri」がある。アトリエにそのシリ・エリクソン嬢の写真があった。写真でみると、どこにでもいそうな元気そうな平凡な少女である。しかしワイエスの絵を見ると人間の尊厳とか、生きる意志とか、さまざまな事が想起される。ワイエスは、たしかに風景や人物を入念に観察しデッサンを繰り返す。その営為の過程で、一己の人間が感知しうる時空間を超えた、世界の成り立ちや命の尊さを見いだし、テンペラ画という古風な手法で描き出すのだ。 


たまたま数年前、ワイエスのコレクションで知られるブランディワインリバー美術館を訪れた。ワイエス生誕百年、ということで、代表的な作品が多く展示されており、その詳細を見ることができた。そこで発見したのは、人物画を描くときのワイエスの皮膚の描写への執着である。むさくるしい男のヒゲの剃り残し。老人の皮膚にあるシミ、若い少女の皮膚には産毛さえみえるようだった。


その後、ワシントンDCに行ってナショナルギャラリーを訪ねた。レオナルド・ダ・ヴィンチからゴッホ、ピカソまで、巨匠の作品が並んでいる。私は、ここでも人物画の皮膚を観察した。


写実的な肖像画家としてはアルブレヒト・デューラーがいる。その作品をみると、写実性は際立っているが、ワイエスのような皮膚の微細な表現はない。ダ・ヴィンチやゴッホは皮膚の質感には関心が薄かったように思った。レンブラントが唯一、皮膚の質感の描写に熱心だった。彼の晩年の自画像では、絵の具の厚塗りによって、老人の皮膚のたるみ、ゆがみが残酷なまでに描写されていた。しかしワイエスの皮膚、ここでは「肌」というぬくもりを感じる言葉を使いたいが、その肌の精緻な描写には程遠い。


アンドリュー・ワイエスの、とりわけ人物画の魅力は、肌の描写への執着かもしれない。

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