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  • 2021年6月28日

サンフランシスコの南、カーメル市で皮膚科学の学会があった。研究室のメンバーがほぼ全員参加した。その後、日ごろから親しかった仲間たちと海辺でキャンプすることになった。


キャンプ地ではまずバーベキューを楽しむ。ぼくだけが自分の車で来ていたので、米・独・仏・シリアの仲間が乗り込んで、材料を買いに出た。大変なことになった。


ドイツ人・ウーリヒ君が偏食で「海を泳ぐもの、羽の生えたものは食べられない」という。シリア人・モハメッド君には、もちろん豚が御法度である。で、メンバーでスーパーマーケットに出向く。肉は必然的に牛か羊になる。美味しそうな鳥のモモ肉があってもウーリヒ君が拒否する。脂がのって鮮やかな色合いの分厚い鮭も素通りする。でっかいソーセージが魅力的だったが、よく見ると素材がブタ肉である。あれもだめ、これはイヤだで大騒ぎしながらやっと買い物を済ませ、車に戻る。


フランス人・エメリさんが気づいた。「バーベキューの炭、だれか持ってきた?」。全員忘れていた。ぼくも含めて計画性がないグループであった。みんな研究者だろ、おい。今ならスマホで検索だろうが、当時(1994年頃)には、そんなものない。あてどなく、ぼくが運転していると、メンバーが「あ、今の店、炭売ってるんじゃない?」という。慌ててUターンして店に入る。これを何度か繰り返してやっと炭を確保した。


はあ、これで後はキャンプ地へ行けばいいのだ、と安堵しているとアメリカ人・ナンシーさんが言う。「ライター持ってる人、いる?」。全員、喫煙者ではない。日本のキャンプ地なら管理施設で着火器具ぐらい貸してくれそうだが、アメリカでは期待しないほうが良い。今度はたかがライターを求めてさまよう。正確に言うと、ハンドルを握るぼくが、あれこれ指図するメンバーに従って右折左折Uターンを繰り返す。渡米前はペーパードライバーだったぼくである。運転は苦手だ。ほとんどキレかかっていた。


あたりが暗くなってやっとたどり着いた海辺のキャンプ場。テントを立てたら、そのままぶっ倒れた。元気なメンバーが夜の海へ出て「夜光虫がいっぱいいて波が青く光ってる!すごいよー」と言ってくれたが、起き上がる気がしない。


次の日は、メンバーのツレたちが合流し、カヤックを楽しんだ。やっと平常にもどったぼくは、大変だったけど、そのうち良い思い出になるんだろうなあ、とパドルを動かしていた。

留学中、研究室の友達とは、もっぱら各自の家でパーティーを開いたり、招かれたりで、わいわい騒いでいた。ぼくたちのアパートでも何度か開いた。牛のシャブシャブをよく提供していた。サンフランシスコの普通のスーパーマーケットでは、薄くても1㎝以上の牛肉しか置いていない。そこでジャパンセンターの食料品店に行く。需要があったんでしょうね。シャブシャブ用の薄切り牛とタレが常備されていた。ステーキとシチュー、ローストビーフだけが牛肉の楽しみ方ではないのだよ。


ドイツから来たパトリシアさん、ウーリヒ君のアパートでは目の前で製麺機を使ったパスタを御馳走してもらった。ドイツ南部出身のウーリヒ君は「美味しいものが食べたくなると車でイタリアまで行っちゃうんだ」という。ドイツ料理もそれなりに美味いと思うのですが。


パリから来たエメリさん、オリビエ君のパーティーでは様々なしゃれたお惣菜をいただいた。食器もおしゃれだった。彼らがいよいよパリに戻る前のパーティーで、サラダを入れた白い器が素敵だった。「いいねー」と言ったら「もう要らないからあげるよ」。今はウチの食器棚にいます。


台湾から来たジャニスさん、シシ君の場合、水餃子パーティーでした。餃子の皮から作る。皮を自作すると美味しい水餃子ができるが、自分一人で皮を作ると家族の分だけで悪夢になります。で、ジャニスさんちの台所には皮の素、強力粉を練ったドウがある。中身も用意されている。招待客は各自、ドウをちぎってのばし中身を詰め、大鍋に沸かした湯に放り込んで食べる。


ぼくがいた研究室は太平洋を臨む岸壁の上にあった。野外パーティーに最適な草原があって、研究室メンバーのランチパーティーはそこで開催された。基本はポットラック。各自が食べ物を持ち寄って分け合って食べる。研究室には20人近いメンバーがいた。あるパーティーの時、親分のイライアス教授が「サラダは私が用意しよう」と宣言した。


当日、教授はでっかいポリバケツを持ってきた。「ちゃんと洗ってある」と仰せである。開けるとレタスやらなんやら野菜が詰まっている。「では、作るぞ」と言って、教授は塩と酢とオリーブオイルをたらし、医療用のゴム手袋でぐしゃぐしゃ混ぜた。全員分のサラダができた。意外に美味しかったです。


これ、一回やってみたいのだが、帰国後、大人数のパーティーを開催する機会がないのが残念だ。

まだ午前中だったと思うから、週末、朝の実験を終えて車で帰宅途中だったと思う。前が混んできたので、停車してたら、ずん!と後ろから衝撃が来た。何が起きたかわからなかった。我に返ってエンジンを止めてハザードランプを点滅させて車の外にでる。後ろにまわって驚いた。後部がぐしゃぐしゃになっていた。


数メートル後ろに、前の部分が潰れたヴァンがいた。あ、あいつに追突されたのだ、やっと気がついた。ただちに考えはじめた。ここはアメリカである。車の追突事故ぐらいでお巡りさんも来なければ保険会社も相手にしてくれない。まず現場で交渉して、その後、保険会社に連絡する。こっちが停車中に追突された。100%あっちの責任だ。それを認めさせねばいけない。よぉーし、やるぞ、と気合をいれた。


が、ヴァンから降りてきた相手を見て狼狽した。でかい若いにいちゃんである。レスラーのような体格でTシャツに野球帽をかぶっている。二の腕にはイレズミもある。うわわわわ、どうしよう。


が、話しかけてきた彼はおとなしかった。「ごめん、追突しちゃった。大丈夫ですか?」と頭を下げる。その時、気づいたのだが、彼のシャツには「風の谷のナウシカ」がプリントされていた。運転免許証や電話番号を確認するため、彼のヴァンに行くと「うわー、ボクのガンダムが壊れちゃった」と嘆く。見ると座席の前に、あれこれプラモデルが散らかっていた。


幸い相手が非を認めたので、すかさずぼくは「この事故は私の過失です」とメモ帳を破って書き、署名をさせた。その後、自分の車に戻ったら、壊れた後部が一部、垂れ下がって地面についている。アパートまではまだ数百メートルある。「何か切るもの、持ってない?」と聞くと「ツメキリならあるよ」とヴァンに戻ってごそごそやる。差し出したツメキリには「鉄腕アトム」が描かれていました。


アパートに戻って保険会社に電話していきさつ、相手の電話番号などを伝える。署名つきのメモもファックスした。やーれやれ、これで一段落。


夕方、電話がかかってきた。ナウシカ・ガンダム・アトムのにいちゃんである。「あのー、もう保険会社に連絡しちゃった?」という。「うん、連絡した。君のメモも送ったよ。後は保険会社に任せよう」と答えたら。「・・・ああ、そう・・・」と言って切れた。


その後、彼はまだ日本のアニメーションを見てるだろうか。

Copyright © 2021 Mitsuhiro Denda
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