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  • 2021年3月5日

さまざまな名画、実物に対面するに越したことはないけど、実際には海外の美術館で門外不出の作品もあり、画集やネットで見ざるを得ない場合が多い。でも、画集でよく見ていた絵の実物を見て、突然、ファンになる場合はやはりある。ぼくの場合、ルネサンス、イタリアの画家、サンドロ・ボッティッチェリがそうだった。


「ヴィーナスの誕生」「プリマヴェーラ(春)」は誰でもどこかで見たことあるでしょう。ぼくも小学生のころ小学館「美術の図鑑」か何かで見ていたと思う。小さな画面で見ると、なんだか通俗的な印象で、同時代のラファエロやフィリッポ・リッピ(ボッティッチェリの師)の方が繊細で美しい印象があった。


1997年、アッシジで開催されたシンポジウムに講演者として招待された。その後、フェイレンツェに寄って、「ヴィーナスの誕生」「プリマヴェーラ」を所蔵するウフィツィ美術館を訪ねた。びっくりした。大きいんです。「ヴィーナス」が172㎝x278㎝、「プリマヴェーラ」が203㎝x314㎝。描かれているヴィーナスやら神様やらは、等身大と思ってください。


その大きさで初めて気が付いたのだが、ボッティッチェリの絵の中には、はかなげな、すこし哀しそうな表情の女性がいる。「ヴィーナスの誕生」のヴィーナス。「プリマヴェーラ」では左から2人目の女性、三美神のお一人だそうです。「パラスとケンタウロス」のパラスもそう。女神さんなのだが、なんだか憂い顔に見える。華やかなルネサンスの時代、それもまたつかの間の夢、とでも言いたそうなまなざし。プルーストの「失われた時を求めて」で紹介される、「モーセの試練」の中央近く、井戸?の近くの女性もそうですね。


フィレンツェに君臨したメディチ家に招かれて、まずます幸福な人生を送ったように思える画家だけど、どこかで時の流れのはかなさ、栄華のむなしさも感じていたんじゃないか、と空想しています。

20世紀の終わりごろ、2,3週間に一度は神田の書店街に出かけていた。その当時、三省堂の美術書コーナーに行くたび、眺めては書架に戻していた画集がある。ポーランドの画家、ベクシンスキーの画集だった。


廃墟の中で死臭が漂うような不吉な絵、悪夢のような異形の人物画、それらに交じって、壮大な、世界の深い場所にある宇宙の秘密を描いたような作品もあった。頁を開くと、最後まで見てしまう。しかし、心の奥底を冷たい手で触られるような不気味さに、購入するのがためらわれた。


そんなことをくりかえしているうちに、ある時、その画集に「出版社閉店のため入手困難」という紙が貼られていた。おぞましい絵が多いが、それが見れなくなると困る。思い切って購入した。


画集を手に入れると、あまり見なくなる傾向が、ぼくにはあるが、ベクシンスキーの画集はよく眺めている。そのたびに、自分のこころ、何を美しいと思い、何をおぞましいとかんじるのだかわからなくなる。おぞましさの極限とでもいうべき形象は、崇高な美しさと隣り合わせではないだろうか。この世界の果てでそれらは融合しているのではないか。


少年時代、ナチスの侵攻を経験したスジスワフ・ベクシンスキーは2005年、強盗に刺殺された。

小説や詩を濫読したのは、やはり大学時代から結婚するまでで、特に、貧乏で、つきあってくれる女性もいない、という学生時代は、興味のあるなしには関わらず、世間で名作と言われている文学書はかたっぱしから文庫本か古本で読み漁った。


若いころは、なんというか激しい強烈な思想に惹かれるもので、日本だと安部公房、三島由紀夫、海外ではドストエフスキー、カフカ、カミュ、など「小説好きなら一度はハマる」作家の作品を熱心に読んだ。詩はランボー、中原中也、立原道造、宮沢賢治、谷川俊太郎、とか。


一方で「名作」と言われているのに、感動を覚えなかった作品もあり、例えば谷崎潤一郎の作品では、初期の「刺青」、晩年の「鍵」「瘋癲老人日記」などは、すさまじいなあ、と思ったが「細雪」は若いころは退屈だった。


リルケの「マルテの手記」は何度も読み返していたけど、「ドゥイノの悲歌」は何のことやらわからず、中原中也や立原道造と交流があった伊東静雄の詩にも興味がわかなかった。


しかしですね、長生きはするもので、50歳を過ぎるころ、ふと「細雪」を手に取ったら、一気に引きずり込まれた。関西の裕福な四姉妹の物語だ。波乱万丈のエピソードがあるわけではない。平和な時代なら珍しくもない時間の流れがある。でも、それがとても愛おしく貴重なものに見えてくるのだ。


「ドゥイノの悲歌」は、いわゆる遠距離介護で、月に一回、介護施設にいる父の定期診断につきそうため、滋賀に行っていた。その往復の新幹線の中で頁を開いて釘付けになった。この作品は、一字一句に自分の考え方を寄り添わせながら丁寧に読んで、初めて何かを感じる。その読み方を覚えてからは、しばらく手放せない詩集になった(手塚富雄訳 岩波文庫)。


同じころ、伊東静雄の詩集にも惹きこまれた。「わがひとに与ふる哀歌」「有明海の思ひ出」「八月の石にすがりて」などは、わざわざコピーして持ち歩いた。吐き気を催すほど退屈な会議に出なければならないとき、その紙片を隠し持って、ときおりメモを取るフリをして読んで屈辱の精神をいたわった。


「名作」は読みたくなった時、それが近しく思えた時、読めば良いと思う。

Copyright © 2021 Mitsuhiro Denda
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