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  • 2021年3月6日

十代から、大体十年に一度、魅力的なマンガ家に出会っている。


1970年代諸星大二郎さん。中学生の時、ネンザの治療のため通っていた接骨院で、少年ジャンプに連載を開始された「黒い探究者(妖怪ハンター第一話)」を見て茫然とした。その後、大学に入って単行本を集め始めた。「生命の木」「暗黒神話」には圧倒された。そういう人、多いですよね。


1980年代坂口尚さん。学生時代、洛北の、マンガが充実していた本屋で「3月の風は3ノット」をいわゆる「表紙買い」して魅了され、単行本を集め始めた。坂口さんは日本のマンガ家で最も絵が巧い天才だ。勢いのある線でデフォルメされた人物が美しい。そして光や風、気配まで「描いて」しまう。早世されたのが残念です。最後の作品「あっかんべエー一休」は絵も思想も日本のマンガの中の最高峰だと思う。


1990年代津野裕子さん。サンフランシスコで研究をしていた。ジャパンセンターの紀伊國屋書店で「ガロ」を買ったら「A Taste of Honey」が掲載されていた。帰国して「デリシャス」「雨宮雪氷」「鱗粉薬」「一角散」と本が出るたびに購入した。「美しい絵で描かれたシュルレアリスム」という作品がありうることを知った。まだまだ描いてください。


2000年代島田虎之介さん。当時、池袋ジュンク堂のコミックフロア(B1F)に「サブカルチャー系」コーナーがあって、「ラスト・ワルツ」「トロイメライ」を購入し、その、奔放で虚実定かならざる物語に圧倒されました。一昨年刊行された「ロボ・サピエンス前史」には改めてとてもとても感動した。SFってこれだよなあ。アーサー・クラークやアシモフ、ハインラインをワクワクしながら読んでいた少年時代を思い出した。


2010年代町田洋さん。これまたジュンク堂「サブカルチャーコーナー」で「惑星9の休日」「夜とコンクリート」を購入。そのころ、ぼくは人間関係のごたごたで疲れ果てていた。酷い人間不信に陥っていた。そんな時、町田さんの作品は、干からびた心に静かな雨が降るようにしみこんでいった。半年ぐらい、枕元に置いて、毎晩、寝る前に何度も読み返していました。新作を待ってます。


2020年代、まだ、これと言った作家さんには出会っていません。

サンフランシスコで研究生活を送っていたころ、よくオーケストラのコンサートに行った。夫婦そろって週末祝日返上で実験をしていた。そのため貴重な息抜きだった。


インターネットが無い時代だったが、つれあいと「明日は聴きにいこうか」と決めると、電話一本で座席が取れた。値段も安かった。ホールの傍らに駐車場もあって便利だった。ブロムシュテット指揮のサンフランシスコ交響楽団の演奏も楽しんだが、有名な楽団が客演することもあった。忘れられないのが、ゲオルグ・ショルティ指揮シカゴ交響楽団の演奏だ。


当時、80歳を超えていらしたショルティさん、さすがに目がお悪いのか、楽譜が大きかった。しかし姿勢はピシッと美しかった。


「共感覚」という現象があって、例えば匂いや音や文字に色を感じる。ぼくにはそんな才能が無いと思っていた。


まず、ストラビンスキーの「ペトルーシュカ」。演奏が盛り上がってくると、目の前に極彩色を感じた。絵画ならカンディンスキーの作品が光りながら踊りだしたような感覚。生まれて初めての経験だった。


次はメンデルスゾーンの交響曲第四番「イタリア」。冒頭で、目の前が光り輝く黄緑色になった。早春の草原の輝き。わくわくする解放感。すばらしかった。


楽器にも触れず、楽譜も読めない、音痴のぼくだが、すばらしい音楽と演奏には、音痴の脳も踊りだす。貴重な体験だった。

テレビドラマの「相棒」を見ていて、水谷豊さん演じる杉下右京はシャーロック・ホームズと刑事コロンボだなあ、と思った。わずかな手がかりから核心にせまるのがホームズ流で、真犯人に心理的なゆさぶりをかけて追い詰めるのがコロンボ流。でも、ホームズにもコロンボにもモデルがいますね。ホームズのモデルはエドガー・アラン・ポーの「モルグ街の殺人事件」のデュパン、あるいは「黄金虫」のルグランにもその気配がある。共通するのは、名探偵を観察する語り手が、どちらかといえば凡庸な人物であること。例えばホームズに対するワトソンのように。


一方のコロンボですが、御存知の方も多いでしょうが、ドストエフスキーの「罪と罰」に登場する予審判事ポルフィーリイがモデルですね。老婆を殺害した主人公、セルゲイ・ラスコーリニコフに様々な心理的揺さぶりをかけて追い詰めてゆく。あれこれ揺さぶった挙句「もう一つだけ質問させてください、ほんとうにご迷惑だと思いますが!」というセリフ(工藤精一郎訳新潮文庫)。そのまんま、コロンボ経由で杉下右京につながります。


 嵐山光三郎さん「文人悪食」(新潮文庫)によれば、「エドガー・アラン・ポー」をペンネームにした江戸川乱歩さんは、ドストエフスキーの愛読者だった。「少年探偵団」の明智小五郎は颯爽とした紳士だけど、初期の「D坂の殺人事件」のころは髪がもじゃもじゃ、貧乏書生の風情です。これが金田一耕助になったという想像はたやすいが、まさかコロンボになった、なんてことはないでしょうか?

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