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20世紀の終わりごろ、2,3週間に一度は神田の書店街に出かけていた。その当時、三省堂の美術書コーナーに行くたび、眺めては書架に戻していた画集がある。ポーランドの画家、ベクシンスキーの画集だった。


廃墟の中で死臭が漂うような不吉な絵、悪夢のような異形の人物画、それらに交じって、壮大な、世界の深い場所にある宇宙の秘密を描いたような作品もあった。頁を開くと、最後まで見てしまう。しかし、心の奥底を冷たい手で触られるような不気味さに、購入するのがためらわれた。


そんなことをくりかえしているうちに、ある時、その画集に「出版社閉店のため入手困難」という紙が貼られていた。おぞましい絵が多いが、それが見れなくなると困る。思い切って購入した。


画集を手に入れると、あまり見なくなる傾向が、ぼくにはあるが、ベクシンスキーの画集はよく眺めている。そのたびに、自分のこころ、何を美しいと思い、何をおぞましいとかんじるのだかわからなくなる。おぞましさの極限とでもいうべき形象は、崇高な美しさと隣り合わせではないだろうか。この世界の果てでそれらは融合しているのではないか。


少年時代、ナチスの侵攻を経験したスジスワフ・ベクシンスキーは2005年、強盗に刺殺された。

小説や詩を濫読したのは、やはり大学時代から結婚するまでで、特に、貧乏で、つきあってくれる女性もいない、という学生時代は、興味のあるなしには関わらず、世間で名作と言われている文学書はかたっぱしから文庫本か古本で読み漁った。


若いころは、なんというか激しい強烈な思想に惹かれるもので、日本だと安部公房、三島由紀夫、海外ではドストエフスキー、カフカ、カミュ、など「小説好きなら一度はハマる」作家の作品を熱心に読んだ。詩はランボー、中原中也、立原道造、宮沢賢治、谷川俊太郎、とか。


一方で「名作」と言われているのに、感動を覚えなかった作品もあり、例えば谷崎潤一郎の作品では、初期の「刺青」、晩年の「鍵」「瘋癲老人日記」などは、すさまじいなあ、と思ったが「細雪」は若いころは退屈だった。


リルケの「マルテの手記」は何度も読み返していたけど、「ドゥイノの悲歌」は何のことやらわからず、中原中也や立原道造と交流があった伊東静雄の詩にも興味がわかなかった。


しかしですね、長生きはするもので、50歳を過ぎるころ、ふと「細雪」を手に取ったら、一気に引きずり込まれた。関西の裕福な四姉妹の物語だ。波乱万丈のエピソードがあるわけではない。平和な時代なら珍しくもない時間の流れがある。でも、それがとても愛おしく貴重なものに見えてくるのだ。


「ドゥイノの悲歌」は、いわゆる遠距離介護で、月に一回、介護施設にいる父の定期診断につきそうため、滋賀に行っていた。その往復の新幹線の中で頁を開いて釘付けになった。この作品は、一字一句に自分の考え方を寄り添わせながら丁寧に読んで、初めて何かを感じる。その読み方を覚えてからは、しばらく手放せない詩集になった(手塚富雄訳 岩波文庫)。


同じころ、伊東静雄の詩集にも惹きこまれた。「わがひとに与ふる哀歌」「有明海の思ひ出」「八月の石にすがりて」などは、わざわざコピーして持ち歩いた。吐き気を催すほど退屈な会議に出なければならないとき、その紙片を隠し持って、ときおりメモを取るフリをして読んで屈辱の精神をいたわった。


「名作」は読みたくなった時、それが近しく思えた時、読めば良いと思う。

中学生ぐらいの頃から、レコードで聴くのはクラッシックだった。それ以来40年ぐらいは、メロディが美しいなじみやすい曲、チャイコフスキーの4,5,6番「悲愴」交響曲、ドボルザークの8番、9番「新世界」交響曲、チェロ協奏曲、リムスキー・コルサコフのシェヘラザードなどを聴いていた。今思えば、それらをゆったりした時間の中で聴いていたのかどうか疑問だ。落ち着きがない性格で1時間ずっとステレオの前に座っていたかどうか。


そんな奴だから長いマーラーの交響曲には縁遠かった。CDの時代になっても交響曲の1番と4番を持っていただけ。ところが2012年の秋から年明けまで、毎週日曜日、渋谷で半日すごす事情があった。映画を観て、あるときはスターバックスで本のゲラを見て、それでも時間があったのでiPodに、持っているCDを移して散歩しながら聴いていた。その時、初めてマーラーに感動した。


チャイコフスキーやドボルザークの交響曲の一節は鼻歌で歌える。しかしマーラーの交響曲では不可能だなあ。よく、コマギレにした「名曲全集」があって、「悲愴」の第一楽章、「新世界」の第二楽章などが入っている。マーラーの場合、5番の第四楽章、ヴィスコンティの「ヴェニスに死す」のBGMだった部分が入っているだけだ。マーラーの交響曲の特徴は、ずううぅっと長い複雑なメロディ・・・と言っていいのか、とにかくコマギレにできない、しかも複雑な音の流れなのだ。そして、それは一つの交響曲なら最初から最後まで聴いて初めて感動できる。たとえば有名な交響曲第1番「巨人」は第一楽章のテーマが最終楽章のなかでくりかえされ、おおきな一つの輪になっている。


あっという間にマーラーにハマり、交響曲全10曲のCDを購入(一部は複数)し、ずーっと聴いている。待ち時間や電車や飛行機の移動時間が楽しくなった。ぼく個人の嗜好だが、ヒマが1時間弱だと1番、1時間半あれば9番、2時間以上あれば2番を聴くことが多い。


さらにライブでも1,4,5,6,8,9番は聴いた。渋谷オーチャードホールで聴いた山田和樹さん指揮日本フィルハーモニーの8番はこの世のものとも思えない壮大な曲だった。いつか全曲、ライブで聴きたい。

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