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サンフランシスコで研究生活を送っていたころ、よくオーケストラのコンサートに行った。夫婦そろって週末祝日返上で実験をしていた。そのため貴重な息抜きだった。


インターネットが無い時代だったが、つれあいと「明日は聴きにいこうか」と決めると、電話一本で座席が取れた。値段も安かった。ホールの傍らに駐車場もあって便利だった。ブロムシュテット指揮のサンフランシスコ交響楽団の演奏も楽しんだが、有名な楽団が客演することもあった。忘れられないのが、ゲオルグ・ショルティ指揮シカゴ交響楽団の演奏だ。


当時、80歳を超えていらしたショルティさん、さすがに目がお悪いのか、楽譜が大きかった。しかし姿勢はピシッと美しかった。


「共感覚」という現象があって、例えば匂いや音や文字に色を感じる。ぼくにはそんな才能が無いと思っていた。


まず、ストラビンスキーの「ペトルーシュカ」。演奏が盛り上がってくると、目の前に極彩色を感じた。絵画ならカンディンスキーの作品が光りながら踊りだしたような感覚。生まれて初めての経験だった。


次はメンデルスゾーンの交響曲第四番「イタリア」。冒頭で、目の前が光り輝く黄緑色になった。早春の草原の輝き。わくわくする解放感。すばらしかった。


楽器にも触れず、楽譜も読めない、音痴のぼくだが、すばらしい音楽と演奏には、音痴の脳も踊りだす。貴重な体験だった。

テレビドラマの「相棒」を見ていて、水谷豊さん演じる杉下右京はシャーロック・ホームズと刑事コロンボだなあ、と思った。わずかな手がかりから核心にせまるのがホームズ流で、真犯人に心理的なゆさぶりをかけて追い詰めるのがコロンボ流。でも、ホームズにもコロンボにもモデルがいますね。ホームズのモデルはエドガー・アラン・ポーの「モルグ街の殺人事件」のデュパン、あるいは「黄金虫」のルグランにもその気配がある。共通するのは、名探偵を観察する語り手が、どちらかといえば凡庸な人物であること。例えばホームズに対するワトソンのように。


一方のコロンボですが、御存知の方も多いでしょうが、ドストエフスキーの「罪と罰」に登場する予審判事ポルフィーリイがモデルですね。老婆を殺害した主人公、セルゲイ・ラスコーリニコフに様々な心理的揺さぶりをかけて追い詰めてゆく。あれこれ揺さぶった挙句「もう一つだけ質問させてください、ほんとうにご迷惑だと思いますが!」というセリフ(工藤精一郎訳新潮文庫)。そのまんま、コロンボ経由で杉下右京につながります。


 嵐山光三郎さん「文人悪食」(新潮文庫)によれば、「エドガー・アラン・ポー」をペンネームにした江戸川乱歩さんは、ドストエフスキーの愛読者だった。「少年探偵団」の明智小五郎は颯爽とした紳士だけど、初期の「D坂の殺人事件」のころは髪がもじゃもじゃ、貧乏書生の風情です。これが金田一耕助になったという想像はたやすいが、まさかコロンボになった、なんてことはないでしょうか?

  • 2021年3月5日

さまざまな名画、実物に対面するに越したことはないけど、実際には海外の美術館で門外不出の作品もあり、画集やネットで見ざるを得ない場合が多い。でも、画集でよく見ていた絵の実物を見て、突然、ファンになる場合はやはりある。ぼくの場合、ルネサンス、イタリアの画家、サンドロ・ボッティッチェリがそうだった。


「ヴィーナスの誕生」「プリマヴェーラ(春)」は誰でもどこかで見たことあるでしょう。ぼくも小学生のころ小学館「美術の図鑑」か何かで見ていたと思う。小さな画面で見ると、なんだか通俗的な印象で、同時代のラファエロやフィリッポ・リッピ(ボッティッチェリの師)の方が繊細で美しい印象があった。


1997年、アッシジで開催されたシンポジウムに講演者として招待された。その後、フェイレンツェに寄って、「ヴィーナスの誕生」「プリマヴェーラ」を所蔵するウフィツィ美術館を訪ねた。びっくりした。大きいんです。「ヴィーナス」が172㎝x278㎝、「プリマヴェーラ」が203㎝x314㎝。描かれているヴィーナスやら神様やらは、等身大と思ってください。


その大きさで初めて気が付いたのだが、ボッティッチェリの絵の中には、はかなげな、すこし哀しそうな表情の女性がいる。「ヴィーナスの誕生」のヴィーナス。「プリマヴェーラ」では左から2人目の女性、三美神のお一人だそうです。「パラスとケンタウロス」のパラスもそう。女神さんなのだが、なんだか憂い顔に見える。華やかなルネサンスの時代、それもまたつかの間の夢、とでも言いたそうなまなざし。プルーストの「失われた時を求めて」で紹介される、「モーセの試練」の中央近く、井戸?の近くの女性もそうですね。


フィレンツェに君臨したメディチ家に招かれて、まずます幸福な人生を送ったように思える画家だけど、どこかで時の流れのはかなさ、栄華のむなしさも感じていたんじゃないか、と空想しています。

Copyright © 2021 Mitsuhiro Denda
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