ぼくは二十歳(1980年)ぐらいまで、聴く音楽はクラッシックだった。ポップスやロックが嫌いだったわけじゃない。何となく聴かなかっただけ。
ところが、いつ、どういう番組だったのかも忘れたが、6畳、トイレ共用、風呂なし、キッチンも共用のながしとコンロが二つだけ、という家賃1万円の学生アパートに住んでいた頃、大学生協で買った2万円のテレビでライブをたまたま見た。聴いたことがないメロディー、思わず耳を傾けてしまうような歌詞を、派手な衣装とメイクアップで飾った男性ヴォーカルがマイクロフォンを振り回しながら歌っていた。
たまたま中学校以来の友人が同じ大学にいて、彼の下宿を訪ねたら「それはRCサクセションというバンドだよ」と教えてくれた。彼が持っていた「EPLP」という「名曲編集版」のようなカセットテープなどを借りて、大文字山(如意ヶ岳)が見える暗い部屋のラジカセ(死語)で聴いた。何十回も聴いた。魅了された。ハマった。
好きな曲は多くあるが、たとえば「トランジスタラジオ」は、誰もが思春期に経験する、あるいは思春期にしか経験できない、空虚感とも解放感とも言えない心境を表現していてすばらしい。あるいは「スローバラード」ほど、美しい言葉でありながら、自らの根源的な孤独を残酷なまでに見つめた歌詞をぼくは知らない。
今、思えば「ハードロックRCサクセション」が旭日の勢いで(古い表現御免)知れ渡る時期と、ぼくが大学生活になじむ時期が重なっていた。
その後、RCのコンサートが関西であるときは、昼飯代をぬいてチケットを買い「キヨシローファッション」、派手な恰好の若い女の子が並ぶ列に、むさくるしい貧乏学生も並んだ。「おっかけ」ですね。京都会館、大阪城ホールとか。
化粧品会社に就職したら、宣伝制作室の同期入社がみなさんRCファンで、連れ立って聴きに行った1985年夏の西武球場でのライブが、最後に行ったコンサートだった。朝から雨が降っていた。ところがライブが始まると雨がやみ、晴れた。忌野清志郎さんは「どうだい!晴れたぜ!おれたちの実力だ。じゃあ行くぜ!『雨上がりの夜空に』!」大感動。
十数年前、たまたま忌野清志郎さんと同じエレベーターに乗ったことがある。当時、清志郎さんは50歳そこそこだった。熱中されていた自転車にのるコスチュームだった。なんとなく「話しかけないでください」という雰囲気があって、ぼくは黙っていた。清志郎さんが降りる階になったので「開」ボタンを押したら「どうも」と低い声で出ていかれた。
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