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執筆者の写真傳田光洋

いまやありえない孤独の思い出

1993年8月、サンフランシスコで独りぼっちの留学生活を始めた。インターネットもない時代。今、思えば貴重な経験だった。


やっと見つけた職場近くの古いアパートでの生活。最初は自動車免許もないから調理器具などは、手に持ってバスに乗れる程度しか買えない。皿と鍋とフライパン、スプーン、フォーク、包丁兼用のナイフをダウンタウンの高級デパートで買った。後になって、近所に安い雑貨屋、スーパーマーケットがあることに気が付いたが、最初は土地勘が無いからわからない。幸い、アパートの隣に、今なら「コンビニ」程度の規模の食料品屋があったので、そこで買った牛肉を焼く。あるいはトマト缶と一緒に煮込む。オレンジかブドウを買って、ぱさぱさのパンと安ワインで飲み下してお終い。


国際電話は高いので必要最小限。ツレや友人から届く葉書は何度も何度も読み返した。


アパートの屋上からは太平洋が見えた。果てしなく広がる青い海。白い波。ああ、あの果てに日本があるのだ。


日本にいた時、自分がどれほど多くの人たちに支えられていたのかを痛感した。サンフランシスコの研究室の人々、教授も他のメンバーも実は親切な人ばかりだったが、つきあいは、最初は研究所内だけ。なによりぼくの英会話能力が低かったから仕方がない。仕事を終えて職場を離れると、広さだけは十分なアパートの部屋で、経験したことが無い孤独を感じた。


今は、たとえばロンドンにいる友人と相手の顔を見ながら会話ができる。便利になった。


しかし、ぼくは、今思えば、自分が、そんなふうに心底、孤独になる期間を持てたことは、価値あることだったと思う。サンフランシスコ留学は2年ちょっとだったが、海辺の景色や街並みの記憶は、その時期のものが最も鮮やかに残っている。


そんな孤独は、今の日本では経験する機会があまりないのではないか。孤独が続くのは良くないが、ひととき、孤独を感じることは、人のありがたさを再認識するために必要だと思う。

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