「交響曲」というと、クラッシック音楽の中でも、とりわけ重厚なイメージがある。でもそれはベートーヴェン以降だと思う。
77歳まで生きたハイドンは106曲の交響曲を作曲したらしい。ぼくはほとんど知らないのだが、有名な「驚愕」や「時計」をちょっと聴くと、軽い冗談音楽に思える。35歳で早世したモーツァルトでさえ41曲の交響曲がある。ごめんなさい、ぼくは晩年の40番、41番しか知らないけど、それらはすばらしい貫禄がありますね。
「交響曲」を「作曲家が自らの精神、情念を託した巨大な存在」にしたのはベートーヴェンで、56年の生涯でご存じのように9曲しか交響曲を作曲していない。でも、それらは、それぞれ存在感が大きい。
「第9の呪い」という、よく知られた話があって、ベートーヴェン以降の作曲家は、「交響曲第9番」にたどり着く前後に死ぬという。「9番」の作曲中、あるいは作曲後、死んだのは、シューベルト、ブルックナー、ドボルザーク、ヴォーン・ウィリアムズなどなど。
グスタフ・マーラーはベートーヴェンの後、交響曲という形式で、その表現の可能性、限界に挑戦していたように思う。第6番では、ムチ、カウベル、木箱か机を大人の頭ぐらいあるハンマーでぶん殴る音まで入っている。そういう試みが後世に及ぼした影響は大きいのではないか。
たとえばジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」の様々な曲は、マーラーより前の作曲家の作品を切り貼りしても似たものすらできないと思うが、マーラーの交響曲の切り貼りなら、そこそこ似た迫力の曲ができそうだ。
なにかと神経質なマーラーは「第9の呪い」が気になって、壮大な交響曲第8番の次の交響曲を「第9番」とせず「交響曲 大地の歌」にした。ははははは、俺はまだ生きてるぞ、と次の交響曲「第9番」を完成し、「第10番」にとりかかって、その完成前に死んでしまった。自ら「第9の呪い」を証明してしまった。
「第9の呪い」をふっとばしたのはショスタコーヴィチで、交響曲第15番まで完成させた。またショスタコーヴィチはマーラーに私淑していて、その表現の限界を意識的に超えたのが交響曲第4番のようにぼくには思える。もし、御存じないなら聴いてください。すごいですよ。(ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管弦楽団)。現代音楽に分類されるトゥーランガリラ交響曲より、とんでもない冒険を感じる。が、時はスターリン体制下。前衛的な曲を発表するとやばい、とお蔵入りになり、代わりにバカでもスターリンでもわかる「第5番」(俗称「革命」)を発表したのではないか。この曲も、それはそれでぼくは好きですけどね。
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