田中一村という日本画家がいらした。ぼくが最初に作品を見たのが、いつ、どこで、だったか覚えていないが、すぐ魅かれた。十数年前、奄美大島へ行ったとき「田中一村記念美術館」を訪ね、直接作品を見て、いよいよ感動が大きくなった。有名なのは奄美大島の植物や動物を描いた作品で、植物の描写は、ちょっと見るとアンリ・ルソーに似ている気もするが、よく見ると描写の写実性が凄い。50歳で奄美に定住する前、千葉で描かれた作品を見ると、本来、とほうもないテクニックを持っていらしたことが画集でもわかる。
伝記を読むと、奄美では大島紬の工場の染色工として働き、得たお金で3年ほど絵に集中する生活を送り、お金がなくなると、また染色工として働くという生活だった。その際、座右にピカソの画集があった、ということで、その作品の独特な存在感の意味がぼんやりわかった気がした。
日本画は写実性と、様式、あるいは装飾性とでも言おうか、そのバランスの上に描かれた作品が多いが、田中一村の作品、特に奄美時代の傑作は、そのバランスが絶妙だと感じる。様式や装飾に傾きすぎると、描かれた自然の本来持つ力が弱くなる。写実性だけ追及しても見る者のこころを動かすことはできない。一村の作品では、他の日本画には見られない独自の様式と描写がしっかり息づいている。その奥底に、生涯を通じて実験をつづけたピカソの躍動的な生き方があったのではないだろうか。
一村は、幼いころ、水墨画で「神童」と呼ばれ、東京美術学校(現 東京藝大美術学部日本画科)に東山魁夷らと同期に入学したが、様々な事情で退学。その後、日展、院展からも無視され、ついに生涯、個展を開くこともかなわなかった。
しかし、功成り名遂げた画家が、自分の様式に固まってしまい、同じような作品を濫作することがよくある中で、田中一村の作品には、69年の人生の最晩年まで、より美しい絵を描くという気迫が感じられる。
「良い人生」「恵まれた人生」とはなんなのだろうかなあ。地位や名誉、経済的に恵まれることは悪くない。それどころか、ぼくだって、そうなれるなら今からでもそうなりたい。生きているうちに貧しさに追われ、誰にも認められない人生は、ぼくは、正直言っていやだ。
しかし田中一村の生涯と遺された作品を見ると、そこにも、ある理想的な人間の人生があると思う。
田中一村記念美術館で「1965 年頃、画家の田中一村が知人に宛てた手紙」を読みました。そこにこんな部分がありました。
――えかきは我儘勝手に描くところにえかきの値打ちがあるのでもし御客様の鼻息を窺って描くようになったときはそれは生活の為の奴隷に転落したものと信じます。
「ある意味すばらしい人生」について書かれたこの記事と通底すると思いましたので、ここで引用させていただきました。
『皮膚はすごい~生き物たちの驚くべき進化』『サバイバルする皮膚』、『椿宿の辺りに』の巻末エッセイ、と傳田氏の御本を拝読いたしました。
「サバイバル」では皮膚感覚についてネットワーク科学や文学を引き合いに出して論じられ、また「痛みは孤独だ」から始まるそのエッセイでは、痛み痒みが個人的な体験であり、他者との断絶も感じる現象であることが述べられていて、印象的でした。
アトピーが原因と言われている手の湿疹に病院や薬局へ通い、悩み続けている家族へ、どう寄り添えるか。それも探しながら、今後も拝読いたします。
いつも素晴らしい文章を、ありがとうございます。
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